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   後方羊蹄(1898)

残雪で粧飾された後方羊蹄山

尻別岳頂上から後方羊蹄山を望む

 1/25000地形図 「羊蹄山」

ある程度進むと雪渓がつながった
羊蹄山自然公園・真狩キャンプ場の駐車場に車を止める
真狩コース入口から真っ直ぐに進んだが、登山道は別のよう

 「後方羊蹄山」やはりこの山はこの名がふさわしい。地元の要望で1969年から地形図名が羊蹄山とされたそうだが、通称ならともかくとして正式名称まで変えてしまうのはいかがなものかとつい考えてしまう。後方羊蹄山という名は659年に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本書紀に記されている後方羊蹄(しりべし)に由来するらしく、道内では数少ない歴史ある名称である。そんな由来をも無視してしまってはご都合主義というより他にない。後世にはぜひとも正しい名称で伝えたいものだ。日本国内には○○富士という名の山は数々あるが、この蝦夷富士ほど富士山に似ている山は他にはない。子供の頃に1/50000地形図を集めていて、洞爺湖、支笏湖、札幌の市街地の広がりとこの後方羊蹄山の山域の広さがほぼ同じで、この山の大きさを実感していた。

 後方羊蹄山には比羅夫、京極、喜茂別、真狩の4つのコースがあり、今回は15年ほど前にスキーで登った真狩ルートから登ってみようと出かけて行った。スキーを予定していたが、スタートからまるで雪渓が残っていなかったこともあって、ピッケルだけを持ってツボで登ることにした。連休の賑わいをよそにキャンプ場内を進んで行くと、行き詰まった先が真狩コースの登山口となる。このコースは無雪期に登ったことがなかったため、登山口からそのまま真っ直ぐに進んでしまった。実際の登山道はすぐに右側へと入り左側へと進んで行くようだが、これは下山時に判ったこと。そんなわけで登山道など見当たらず、初っ端から籔漕ぎとなる。百名山でもあり、立派な登山道がないなどありえないが、それを探すのは時間の無駄というもの。この時期であれば、すぐにつながった雪渓が現れるものと思っていた。この日は14時過ぎに息子が将来の結婚相手を連れて初めて我が家へやってくるとのこと。その時間までには札幌へ帰らねばならず、スピード勝負である。

 雪渓がつながり始めたのは650mの小ピークの左側を通過したあたりからで、このときに登山道が雪面から少し出ていた。あとは地形図上の登山道に沿って進んで行けば良い。広い雪面の向こう側にはこれから登る真狩側の斜面が見えている。真狩の街から見えるそれとは違って意外に穏やかな感じに見えるが、これは目の錯覚というもの。徐々に傾斜が増して、にわかに登り一辺倒となる。左手には1000mテラスと呼ばれている古い火口跡があり、その火口壁跡の急斜面が見えてくる。気が付けば背後は立体的に眺望が広がり始め、真狩の市街地が眼下となって見えている。この景観のダイナミックさは正に後方羊蹄山ならではのものだ。ここは右手へと回り込む。見えている急な雪面の上まで登りきれば、少し斜面も緩くなるだろうと期待していたが、上まで到達しても一向に斜面の状況は変わらない。普通の山であれば尾根の頭となる地形も、この山では単なる斜面の凹凸に過ぎないということだった。ゴールデンウイークにも関わらず先行者などは誰もいないようで、自分でステップを刻んで行くより仕方がない。それにしても疲れる。どこか病気でもあるのかと自分を疑ってしまうほどだ。

ふと気が付けば高度感のある視界が広がっていた

 前方に、登山道のある尾根の右側のガレ沢の雪渓が見えてくる。傾斜も緩く見えるので、時間的にはそんなにかからないようにも感じられる。ただし、登って来た斜面は真っ直ぐに麓まで落ちており、転がった場合はどこまで滑り落ちるかは判らない。さすがにここで大休止とする。私のステップをたどって来た後続の登山者に抜かされる。やはり、この疲れようは尋常ではない。ガレ沢の雪渓上部では、どこから登ったのか2〜3人の登山者がスキーを楽しんでいる様子。夕べは避難小屋あたりに泊まったのだろう。確かに足でステップを刻んで登って来た斜面も、仮に自分がスキーを履いていると考えればそんなに恐ろしい傾斜ではなく、むしろ楽しめそうなほど良い斜面に見えてくる。山中での錯覚とはそんなものなのかもしれない。

  私を抜いていった登山者のステップを進んで行く。やはりステップがあるのとないのとでは楽さ加減に大きな違いがある。だが、ガレ沢へと取り付くと、先行者のステップの浅さが気になり、しかも斜面の端だったので、さらに気になった。雪面が腐っていることが前提で進んでいるので、時折現れる硬い雪面には気をつけなければならない。結局、雪渓のど真ん中に自分のステップを刻むことにした。このガレ沢の斜面、傾斜はなかなかのもので、後ろを振り返ればあれこれ想像されて恐ろしくなる。スキーで登っている感覚と、自分に言い聞かせれば不思議に落ち着くから、人間の思い込みとは恐ろしいものだ。ここは修行僧の境地、ただひたすらに、ただ黙々と、無心で登って行くことがこんな場合の王道というものだ。そうこうしているうちに、雪渓の終了地点が目前となる。あと少しで雪渓から開放される。そんな期待が藁にもすがる気分にさせる。

 だが、そもそもはガレ沢、雪渓が消えた足下は脆く、ガラガラと崩れて大いに慌てさせられた。雪渓の遥か下には後続の登山者がゴマ粒のように見えており、大きな石でも転がそうものならとんでもないことになる。地面をだましだましトラバース、なんとか潅木帯へと逃げてほっと一息。ほどなく砂礫の斜面から外輪上へと飛出した。大きく深い父釜が見下ろされるダイナミックな光景は、いつもの藪山登山では決して見ることのない別世界のもの。文部省唱歌「ふじの山」ではないが、四方の山を見下ろす眺望はさすがに感動的で、ここ最近に登った山々の山座同定にしばし時を忘れてしまう。  

真狩ピークから頂上方向を望む  外輪では一番険しい部分

 さて、今回はホームページへのUPの都合上、どうしても最高地点までは行かなくてはならない。頂上までの外輪は岩稜となっており、いかにも険しそうな感じである。だが、よく考えてみれば一般的な登山道となっており、そう大変といった程のものでもないはずだ。時間は少ないが、とりあえずは最高点ピークを目指す。険しい岩稜もペンキでしっかりとルートが示されており、思っていたよりは順調に最高地点が近づく。途中、私を追い越していった登山者とすれ違う。彼も最高地点まで行ってきたとのこと。外輪からの下りが心配とのことだが、下りは心配する程のことではないとの旨を伝える。事実、どんな急傾斜であろうと、よほど気でも抜かない限りは滅多なことなど起こらない。本格的な沢の下降でもないので、チロロ2さんとの間でいつも言っている“何だかんだ言っても下りは楽”がこの場合は正解である。蛇足だが、チロロ2さんは「私は何だもかんだも言っていない」と返すが、言っていないだけで、心の中はお見通しである。

 いよいよ最高地点。時間は正午を当に過ぎている。14時までの札幌到着など絶対に無理。そう考えると、急に体が軽くなった。どうやら私も未だ重病ではないらしい。家に遅れる旨の電話を入れてから、最高地点の棒杭の前に立つ。もちろん大事に持ってきた「金麦」を岩に立てての記念写真。背景は何でもありの選び放題である。余市岳、無意根山、喜茂別岳、徳瞬・ホロホロ、札幌岳、狭薄、昆布、狩場、ニセコ・・・と、いちいち挙げれば限がない。さすが後志國随一の名峰である。こんな素晴らしい山だが、ホームページ上で511山を数えても一度も訪れることがなかったのだから不思議である。つい、そんなことを思いながら眼下に広がる大パノラマに見入ってしまった。(2015.5.3)  

【参考コースタイム】 羊蹄山自然公園・真狩キャンプ場 P 7:30 → 真狩ピーク 12:15 →  後方羊蹄山頂上 13:00、〃発 13:20 真狩ピーク 14:05 羊蹄山自然公園・真狩キャンプ場 P 15:45   (登り4時間45分、下り2時間25分)    

メンバーsaijyo

 

頂上から父釜を挟んでニセコの山々

ご存知“日本百名山”の頂上風景 京極コースからの登山者も ・・・

「金麦」と尻別岳

頂上から洞爺湖方面を望む

一番急なところだが、この写真では分からない

 

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