<戻る

       薬師山(373.7m)

湧別川の対岸から見た瀬戸瀬の薬師山(2016/10/5撮影)

 1/25000地形図「瀬戸瀬」

登山口は広場になっている
雨天のため、薄暗い登山道を進む
次々と現れる地蔵

  高規格道路が丸瀬布まで伸びたことによって、網走方面への交通の流れは大きく変わった。以前の石北峠に変わって、峠をトンネルで通過できる北見峠側が今や幹線となっている。我々も斜里岳方面へ出かける時にはいつもこのルートを利用している。高速道路から降りて間もなく通過する遠軽町・瀬戸瀬には、瀬戸瀬温泉と瀬戸瀬山があり、いずれも以前に訪れている。ところがもう一つ、いつも通過の際に気になっていたのが瀬戸瀬・薬師山で、標高は低いが頂上の眺めが良いらしい。機会があれば一度は立寄ってみたいと思っていた山だ。昨日の斜里岳・小屋の沢の山行は首尾良く終えたが、この日の予定は雨で中止となる。薬師山であれば大して時間はかからないので、小雨でも大丈夫。札幌への帰りの道中、いつも立ち寄る安国のセーコーマートで行動食を買い込み、急いで薬師山へと向かうことにする。

 登山口は国道脇にあり、小広場となっている。案内板等、何やら信仰色が濃さそうな雰囲気である。登山道入口の脇には湧水と思われる飲み水が提供されており、ここを訪れる登山者の喉を潤している。樹林帯の中の静かな登山道に沿って霊場八十八ヶ所の地蔵が祭られ、次々と現れる地蔵の番号を数えながら登って行く。小雨模様で辺りは薄暗く、何となく不気味と言えば不気味な様子、 “霊場”と呼ばれているだけになおさらだ。登山道は整備されており、かなり明瞭である。晴れていれば気持の良い遊歩道となっていることだろう。途中から尾根を乗り越して大きく回り込む。この山へ登ることは予定外であったため、地図は用意していない。いったいどこを歩いているものやらさっぱり判らないが、登山道通りに進みさえすれば頂上へは到達するだろうと歩を進ませる。一旦下り始めるが、地蔵の番号は進んで行くので間違ってはいないようだ。

 当然のことながら八十八番が頂上と思っていたが、59番を過ぎたあたりで突然岩が露出した頂上景観となったのは意外だった。少し風化している石造りの小さな御堂(薬師堂)を過ぎると、早くも四等三角点「野上」が埋まった頂上となる。遅かった今年の秋とはいえ、ウルシ科の低木は既に赤く色づいている。ガスがかかって何も見えないこともあって、低山であるにも関わらず高い峰の頂にでも居るかのような雰囲気である。もちろん、良いと言われている頂上展望があるに越したことはないが、岩が露出した頂上と紅葉が始まりかけたこの景観もそれなりに風情がある。薬師堂から少し下ったところにも御堂があるが、こちらは国防婦人会瀬戸瀬支部が皇紀2600年を記念して建てたものとのこと。 “国防”という辺りが今の世にあっては何となく違和感を感じさせる。

途中で尾根を乗り越して回り込む 頂上は岩が露出、紅葉は既に始まっていた
小さな薬師堂が頂上の横にある 薬師山頂上に埋められている四等三角点「野上」

 下りは頂上付近で合流していた登山道を下ることにする。60番で止まっていた地蔵だが、ここからその続きとなる。登りで見ていたほどの狭い間隔ではなく、こちらは次の地蔵までが少々遠い感じである。登山口にあった案内図を見ていないため、何処に下って行くのかも判らず、ひょっとしたら山の反対側? とも思ったが、こんな小さな山であればそれも良しである。むしろこの手の山であれば、何も知らない方が興味も尽きないだろう。結局は登山口近くで往路と合流、これも予想していなかっただけに意外だった。

 薬師山の由来だが、町史によれば明治35年、当時の駅逓の責任者であった佐藤多七氏が山頂に「薬師堂」を建て、薬師如来を祭ったことに由るようである。現国道333号・中央道路旭川〜網走間は別名囚人道路と呼ばれていたそうで、山裾に建てられた「山神」の碑は、その際に犠牲となった多くの因人の霊を祭って今日に至っているらしい。碑には「死後も囚人と呼ばれたのは気の毒と考え山の神と刻入した」とあり、なくてはならない国道の開削に携わった彼らへの畏敬の念をうかがわせる。因人とは言っても当時の体制にそぐわなかった反体制の人たちも当然含まれており、信念を持つが故に過酷な重労働を強いられる結果となったケースもあるようだ。現代であれば、人権無視の全く理不尽な話しとされるだろう。

 また、霊場八十八ヶ所は昭和58年に地元の婦人10名が中心になって寄進を集め、薬師山の全長2.6Kmの登山道に九十七体の仏像(番外九体)を建てたもの。一体一体番号を数えながら一周してきたが、八十八番はこの山には見当たらなかった。案内板の通りに進んだところ、国道を白滝側へ少し進んだところに建つ「国道開削殉難慰霊の碑」の横にあった。八十七番まで進めば八十八番へと進みたくなるのは自然な心理、ここに立つ「慰霊の碑」にもぜひ関心を持ってほしいという意図があるのかもしれない。

 瀬戸瀬・薬師山は小さい山ではあるが、小さいなりにもこの瀬戸瀬地区の歴史が見え隠れする山であった。機会あれば、この地区の歴史をさらに知った上で、眺望の良く利く晴れた日にでも再訪してみたいと思っている。(2012.09.17)

【参考コースタイム】薬師山登山口 P 12:25 → 薬師山頂上 13:00、〃発 13:05 薬師山登山口 13:30   (登り35分 下り25分 )

メンバーsaijyo、チロロ2

<最初へ戻る