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       似岳(1104.6m) オキシマップ山(895m) 

町営上歌別牧野から望む豊似岳(中央)とオキシマップ山(左端)

 1/25000地形図「えりも」

町営上歌別牧野のゲート前に車を置く
三枚岳への登り

一等三角点「豊似山1」と金麦

 私とこの豊似岳との出会いは一枚のチラシからだった。もう30年以上も前のことだが、この山塊を背景に海沿いを直線的に伸びる道路にスタッドレスタイヤをあしらったものだった。どこのメーカーかは記憶にないが、一瞬外国の写真と思った記憶がある。その後ひょんなことからそれが豊似岳と判明、すぐにも登りたくなったが、なかなかメンバー集まらず、ひと苦労させられた。それから数年先の初冬がこの山の初山となったが、このときは見事に敗退してしまった。敗因はエリモのとんでもない強風である。

 登山口まで車を乗り入れ、そこにテントを張った。揺れまくるテントの一夜だったが、夜中トイレに起きて呆然とした。積雪でテントが押しつぶされそうになっている。だが、翌朝起きてみるとテントの周りの積雪は嘘のように消え、地面まで出ていた。強風は相変わらず吹きまくっていて、稜線上での移動を考えると中止せざるを得なかった。帰途について車を運転していると急にハンドルが取られた。おや?と思い車を降りて呆然。積雪で道路が完全に塞がれていた。とにかく除雪しながらでも少しずつでも前進するしかなかった。皆で100メートルほどを必死で除雪、やっと吹き溜まりから脱出することができた。夜中に積もった雪がすっかり帰りの道路へと移動していたのだ。その後この山へは数回登っているが、一番最後に登ったのが25年前である。その後、このホームページを立ち上げ、この山の魅力を知りつつも他の未踏峰へ行く方が忙しく、あれやこれやで25年もの歳月が流れてしまった。

 今回は「ハイキングクラブみどりの風」のたけちゃんの誘いに乗っての再訪で、目的は仙台へ帰るOさんの送別山行とのこと。同じクラブのTさんも同行した。ガイドブックであまり取り上げられないが絶対に素晴らしい山、それが南の豊似岳だ。 入口となるのは「えりも町有上歌別牧野(旧北海道肉牛牧場)」で、ここへの立入許可についてはえりも町のホームページでも紹介しているが、登山口までは3キロメートルほどなので我々はゲートから歩くことにした。冬枯れた牧場の向こうにはこれから目指す豊似岳とオキシマップ山の連なりが隔てるものなく広がっていて実に雄大な景観である。しばらく歩くと何やら車が後ろから迫ってきた。脇に避けたところ、さらに続々と何台もの車が通過していった。我々は牧草地へと避難、ショートカットして少し進んだところが登山口で、既に数多くの車が止まっていた。聞けば地元・えりも町の山岳会とのこと。総勢18名で豊似岳を目指すらしい。 

楽古岳付近をズーム
襟裳岬とオキシマップ山

 緩く広い登山道を登っていると先ほどの面々も上がってきた。追いつ追われつ町民の登山会にでも参加している雰囲気で標高を上げた。背後には日高山脈が海へと消える襟裳岬が見える。こんな光景を見ることができるのもこの山塊ならではのもの。日高山脈の全山縦走といえば、以前は楽古岳を南の基点とするのが常識となっていたが、やはり海に沈むまでが日高山脈である。この山塊を入れずして日高の全山はありえない。そんな思いを強くさせる豊似岳と襟裳岬である。

目指す豊似岳は近い

 豊似岳から伸びるこの稜線は麓の庶野から見ると一枚、二枚、三枚と重なって見えるらしい。稜線上の末端には三等三角点(970.3m)が設置されて点名が三枚岳となっている。それぞれにピークがあるようだが、三つ合わさって三枚岳なのだから三角点の設置場所を代表して頂上としても良いような気がする。

 三枚岳と呼ばれている稜線上まで約2時間。地形図上の登山道はここまでだ。この登山道について、今回のえりも山岳会パーティに参加している方の話によれば、戦後ここに駐留していた米軍が三沢基地と連絡を取るために設置した通信施設への連絡路だったとのこと。昭和20年代というから70年も昔の話である。今も三枚岳に残る残骸はその名残だろう。

 三枚岳から豊似岳まではうまい具合に雪渓が途切れることなく続いていた。地元の山岳会がこの日を選んだのも分るような気がした。

 豊似岳は意外に近かった。途中抜きつ抜かれつだったが、頂上にはえりも山岳会の面々が既に到着し、早くも下山の準備に取り掛かっていた。一等三角点「豊似山1」の周囲はハイマツに覆われていて標石からの展望は無い。ただ、少し雪渓側へ移動すると北へと続く日高山脈の山並みが延々と続いていた。ここからの展望で特に目立つのはやはり楽古岳で、これを基準に考えれば十勝岳、オムシャヌプリまでは判る。また、1839m峰も特徴ある姿なのでかろうじて判るが、それ以上となると完全に稜線が重なって判別できない。近間では二観別岳や本二観、袴腰山がよく見えた。

 ◆◆◆  

オキシマップ山への登り、陽は傾きはじめた

 目指すはオキシマップ山、ここからは町民登山会とは別れて本来の薮山登山である。馬蹄形に曲がっているので、稜線上がハイマツで覆われていた場合、左右の雪渓が残る面を頭に入れてトラバースしなければ薮への突入だ。1093m標高点までは北側、そこからは東側だが、その標高点付近がハイマツに覆われていたので北面をトラバースしたが、やはり西面に変わるあたりから薮漕ぎとなった。標高を落としたので稜線上へ戻ったところでラッキーにも雪渓が出てくる。その後、東面を意識しながら進んで行くうちに969m標高点付近で再びハイマツ帯に覆われてしまったので東側に標高を落として突破を試みたが、結局ハイマツ帯の中に呑み込まれた。全く動けず、自然の強力さを実感する。ハイマツの枝にもがきながらも何とか稜線上へと飛び出した。多少ハイマツ帯であってもそれのトラバースよりは稜線上の方がまだマシとたけちゃん。これぞこの日の核心部であった。

 予定よりも遅れ気味だがまだまだ余裕。最後はヘッドランプもある。そう思いつつオキシマップ山とのコルを目指す。稜線上の雪渓はところどころだが、ハイマツが無い分だけすんなりと進むことができた。途中、アポイ岳へリハビリ山行へ行ったチロロ2さんへ電話連絡、下山が1時間ほど遅れる旨を伝える。この時期は雪渓の残り具合が登山時間を大きく左右するからしかたがない。

 オキシマップ山への登りは北側斜面なので雪渓がたっぷりで難なく登ることができた。キックステップが良い具合にきくのがこの時期の醍醐味である。オキシマップ山の頂上からは豊似岳全体が大きく迫っていた。ルンゼに残る雪渓が見事な縞模様を描いており、やはりここも日高山脈そのものだ。襟裳岬の南側はもう岬まで遮るものがない。正に日高最南端の山である。この山の南面は全く雪が無く、背の低い冬枯れしたミヤコザサで覆われ、まるで牧草地が頂上直下までつながっている感じだった。あとは下るだけ、途中樹林帯へと入り、古い作業道と何度か交錯し、最後は小沢から、牧野内に張り巡らされたシカネットのエゾシカ達の秘密の通路を跨いで道路へと飛び出した。(2021.4.11)

7/29 ゲート前 7:00 → 登山口 8:20 → 稜線上(廃屋) 10:40 → 豊似岳頂上 12:05 、〃発 12:20 → オキシマップ山頂上 15:05ゲート前 18:00  (山行時間 11時間 )

メンバーたけちゃん、Takamoさん、Onoteさん、saijyo、   

豊似岳頂上から北に続く日高山脈を望む

オキシマップ山から豊似岳を望む (Onoteさん提供)

 

遮るものひとつないオキシマップ山の南面 (たけちゃん提供)

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