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 昭和新山(398m)

昭和新山までの樹林帯には驚かされた

/25000地形図「虻 田」

登山ルートから見上げる噴煙はなかなかの迫力である
かまどのようなカメ岩 目玉焼きもすぐに出来上がる(真ん中)
昭和新山に向けて駐車場を出発する
入口にはゲートが設けられ、入山禁止となっている
ほぼ山を半周、ずっとこんな斜面を横切って行く

  昭和新山、この名を見ると札幌で育った私には、やはり小学校時代の修学旅行をイメージする。登別・洞爺の一泊コースで、この山の見学は一つの目玉となっていた。この山は見物する山であって、登山の対象となることなど考えてもいなかった。どこからでも噴煙が立ち昇っており、こんな山になど登れるわけがないと思っていたからである。あれから半世紀、今回は私も参加しているジオパーク友の会の非公式な行事として行われる「昭和新山整備作業」に参加することにした。登山道とはいっても踏み跡程度らしく、そのままの状態でほおって置くと直ぐに藪に消えてしまうらしい。何十年ぶりかで集合場所の昭和新山の駐車場に入ってみて、以前と様子が変わっていたのは意外だった。立ち並ぶ土産物屋の雰囲気は以前のままだが、昭和新山が鬱蒼とした樹林帯の向こうに見えるのは記憶にない。以前は弟子屈・硫黄山のように駐車場からそのまま噴煙の上る裸地の山だったように記憶している。ここ数十年の間、裸地がすっかり森林帯へと変わっていったのだろう。

 昭和新山について触れるが、パンフレットでは「昭和18年12月下旬から隆起、翌19年には噴火が始まって、わずか2年の間で400mもの山に成長したという異形の火山」と載っている。そもそもは普通の麦畑だったそうで、その様子を想像すればするほど、自然の営みの凄まじさが実感されてくる。当時、郵便局長であった三松正夫氏がこの様子を克明にスケッチ、書き残したミマツダイヤグラムは世界的に有名で、世界火山会議でも高い評価を受けているらしい。三松氏が硫黄の採掘等からこの火山標本とも言える昭和新山を守った功績は大きいが、それ以上に畑が火山に化けてしまい生活の糧がなくなってしまった農民から、私財を投げ打ってでもこの山を買い取った三松氏の人間的な対応が賞賛ものである。ちなみに、昭和新山の登山禁止の措置は所有者の本意ではなかったようだが、やはり危険な山でもあり、地元自治体が事故を回避するために取り決めたらしい。もし、一般で入山希望があるのなら、毎年行われている学習登山会にエントリーするのが良いようだ。

 この日は知人のKさんが参加しているらしい。Kさんは山の大先輩、彼の講演は登山研修会で度々聞かせてもらっているが、なかなかの話上手で講師陣の中ではいつもピカ一だった。非常に行動力のある方で、ジオパーク友の会の活動にも積極的に参加、火山マイスターの資格をも取得したらしい。既に到着しているらしいkさんに早速会いに行ってみたが、相変わらずの笑顔で迎えてくれた。Kさんも駐車場をうろうろしていた私を見て、私でないかと思っていたらしい。そのまま出発予定の時間となり、Kさんの先導で現地へと向かうことになる。この日の予定は歩道に被った草木の刈分け作業、私の中ではこの山の登頂は11月に予定されている学習登山会の折に… と考えていた。

 藪の被っている登山ルートは裏側からと勝手に想像していたが、駐車場から見た昭和新山の絵葉書そのままの光景の、その一点が山へのルートの入口となっていた。この山は山全体が特別天然記念物の指定を受けており、また、個人所有の山でもあって、勝手に立ち入ることは法に触れる。入口にはゲートが設けられ、しっかり施錠されている。ルートは右回りと左回りの二ルートがあるらしい。ゲートから分岐までは明瞭な踏み跡となっていて、分岐で二グループに分かれる。私が入ったのは左回ルートの方で、先頭に立つKさんのすぐ後ろを歩いていたために自然とこちらのグループとなった。列の後のグループは右ルートへと入ったようだが、なんせ初めての山、山の様子を夢中で見ていたためにそのことには全く気が付かなかった。山の斜面をトラバースするように続く踏み跡は途中で何本かの雨裂を跨ぐ。頭上に見える赤い岩肌はかつての土壌が溶岩の熱によって高温で焼かれたもの、また、途中には角のとれた丸い石が見られるが、これは当時の河原がそのまま隆起したため、こんな山の中腹に河原の石が見られるらしい。Kさんの解説に聞き入りながら藪が被って少々怪しくなってきた踏み跡を進んで行く。

これが昭和新山の頂点 赤い杭が打ち込まれている

 およそ山の山腹を半周くらい回っただろうか。回りながらも標高を上げたようで、視界が開けて眼下に壮瞥の街並みが見える。メールに載っていた個人が準備する物の中に「蒸気クッキング用食材等」というのがあり、初参加の私としては?… だったが、ここに来てその理由が判った。開けた展望の良い場所の真ん中に、まるで煉瓦で丹念に作り上げたかまどのような岩があり、小さな噴気口から蒸気が上っていた。通称「カメ岩」と呼ばれる溶岩の塊で、全体的にはカメのような格好をしている。ここで、右回ルートのメンバーを待つことになる。右回りのグループはかなり苦戦の様子で、しばらく待つが全く音沙汰無い。「さて、荷物はカメラのみとして頂上の様子を見に行こう」とKさんの鶴の一声。内心「やった!」と思った。カメ岩からの頂上は近く、Kさんのことだから、私の顔に書かれていた「ここまで来たなら登頂希望!」の見えない文字を読み取ってくれたのだろう。

頂上から見る駐車場

  カメ岩より先は地温が高く、厳冬期でも積雪はないらしい。1ヵ所、微妙な斜面をトラバース、後は高みを目指して登り詰める。確かにルートを知らずに登っていたら、行き詰まることもあるかもしれない。カメ岩からわずか10分、昭和新山の頂上に到着する。岩が突き上がった地点が最高地点で、そこから見下ろす駐車場はスッパリ切れ落ち、高所恐怖症でなくても引きずり込まれそうな恐ろしさを感じる。この山の標高は当初は407m、その後、沈み込んだり崩れ落ちたりと9mほど低くなり、現在は398mとなっている。少人数のみであっても、この頂上は順番待ちとなるほど狭い。少し降りた地点からも駐車場側を覗き込むことは可能だが、先端部の地層が違うらしく、安易に近寄っては崩壊の危険があるとのこと。Kさんはまじまじと地面を見ながら「岩塩か… 」とポツリ。駐車場に到着した時に見上げたこの頂上だが、相当数のカラスが群がっているのが不思議だった。Kさんによると岩塩が目的ではないかとのこと。見渡したところ、どこにもカラスが欲しがるような獲物などは見当たらず、確かにそう考えるのが妥当なところである。ともあれ、低い雨雲に、素晴らしいといわれているここからの眺望は次回までのおあずけとなる。

 カメ岩へ戻って、蒸し物をやって後続を待つことにする。Kさんの持ってきた玉子は温泉玉子どころか見事に目玉焼きとなっていた。そうこうしているうちに雲が少し上って伊達付近や室蘭の白鳥大橋も見えてくる。待つこと30分、右回りルートのグループから電話が入り、藪が酷すぎて前には進めず、カメ岩での合流は無理との連絡が入る。山のベテランであるKさんが入らなければ藪の突破は難しいようだ。標高こそ低いが貴重な新ピークをゲットした喜びを土産に、我々も作業しながらの下山となる。(2013.9.1)

参考コースタイム】 昭和新山駐車場 1300 カメ岩 13:35、〃 発 13:40 昭和新山頂上 13:50、〃 発 13:55 → カメ岩 14:05、〃 発 14:35 →  昭和新山駐車場 1520 (登り 40分、下り 55分)

メンバーKさん友の会メンバー、saijyo、チロロ2、

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