<戻る

      鷲峻山(505.0m)

途中で見えた鷲峻山頂上

1/25000地形図「吉 野」

富嶽三十六景「甲州 石班沢」…雨天のため全体写真がないので代用
エッ!こんな所が…というようなところが林道の入口
廃道に近い林道 (これでもわりとマシな部分)

薮山の盟友の一人であるOtaさんから、こんな時期ならではのへんてこな山はないだろうか?と携帯にメールが届いたのは先週末のことであった。我々のような愛好者にとって薮山は決してへんてこではないはずなのだが…、そこは額面通りに解釈せず、へんてこをスペシャルな山と置き換ることによってうまいこと辻褄が合った。要はこの時期のスペシャルな山を彼は求めているのだ。そこで考えたのが新十津川の奥座敷・吉野に位置する鷲峻山(シスンヤマ)である。高速道路の深川付近や国道275号線の雨竜方面からは北斎の富嶽36景「甲州 石班沢」に登場する裾野が霞んだ富士をイメージさせる端正な姿を見せてくれる。最初にこの山を見た時には、その綺麗な富士形を見てとなりの「富士形山」かと思ったが、富士形山はのっぺりとしていてこんなに尖がってはいない。結局、地形図と睨めっこした末に一致したのがこの鷲峻山であった。

シスンはアイヌ語で、松浦図で「シュシュウシ」、明治30年の五万図では「シュシュウンナイ」で、柳・群生する・川との意味(北海道の地名・山田秀三著)。ちなみに、この川は今でも柳がいっぱい生えているそうだ。川の名が「志寸」、地名では「士寸」、水源の山が「鷲峻」と急に格調高い感じとなる。これは明らかにこの漢字をあてた側の意図的なものが入っているように思う。鷲のように荒々しく、急峻な山をイメージしたのだと思うが、これも東側から見てのことだったと想像する。

Yahooのポイント予報では12時頃が一番荒れるとのこと。しかも風力を見てみると平均して1〜2m/sの微風だが、12時頃から15時にかけては7m/sと急激に風速が増している。明らかに寒冷前線通過による一時的な嵐である。天気予報を見てすぐに中止というのではあまりに芸がなく、速攻で登頂しようという話しになった。標高のない里山であり、朝一番で札幌を発って昼前に下山すればあまり天候の影響を受けずにすむ。とはいえ、初めての山で様子も全然判らない。しかも藪漕ぎとあっては、予定通りにはならないものと考えた方がよく、もちろん、それを織り込んでのスタートである。

雨天の中、心配なのは落雷である(頂上の空)
無雪期の頂上はこんなところ

時間短縮を考えて、現地入りしてから右往左往しないよう、林道入口だけはGPSに入れておいたが、結果的にそれは正解だった。予定していた鷲峻山へ向かう徳富川支流の無名川には数多くの砂防ダムが作られており、いずれも昭和40〜50年頃に作られたものである。ちょうど「日本列島改造論」(田中角栄著)が話題となった高度成長の時代で、全国各地でブルトーザーがフル稼働していた時代でもある。今は砂防ダムへの林道も入口から草木が生い茂り、最後に車両が入ったのは何時のことなのか想像すらできないほどの荒れようである。よく見てみなければ道路跡とは気付かないところだった。

林道途中には通行止めの看板とゲートがあり、鎖の付いた状態で倒れて朽ちていた。もはやこんなものも必要ない状態だ。予定の入渓地点からはさらに根曲がり竹で鬱蒼とした作業道跡が続いている。薄っすら踏み跡はあるが人間のものではない。沢に下りてすぐに二股となり、左右共に大きな砂防ダムが現われ行く手を阻む。籔を漕いでダムの上へと抜け、やっと沢らしい沢となった。水量は予想通りに少ないが、両岸がX字状の狭い沢形で、冬枯れ状態の広い河原歩きを期待していただけに少々がっかりした。基本的には流れを歩かなければならず左岸右岸と渡渉を繰り返す。長靴では下手すれば水が入り込みそうで微妙である。

小さな沢にも砂防ダムが連なっている

さらに上部へ進むと再び砂防ダムが現われる。ここで沢遡行を断念、尾根筋へとルートを変更することに決める。尾根筋の籔は見たところ薄くて魅力的だが、こればかりは行ってみなければ判らない。針葉樹林帯ではさらに薄く275m標高点の少し先の尾根が合流する地点まで難なく進むことができた。尾根筋も主に薄い笹薮で、おまけに稜線上のすぐ右側が古い集材路跡となって尾根筋に沿って続いている。前方には目指す鷲峻山も小高い姿を現している。ところが、正午までにはまだまだ時間があるはずなのに辺りが薄暗くなり雨粒が落ちてきた。いよいよ来たかという感じである。集材路跡は頂上への急斜面少し手前で笹薮の斜面に消える。

変って頂上台地を回り込むような作業道跡に飛び出すが、若木ばかりで切り出す樹木などなくなったこの周辺ではこの道路もいらなくなったようだ。雨脚がだんだんと速くなり、時間的にも余裕はない。最後の詰めは時間短縮を考えて頂上までの最短ルートを取ることにする。地形図上では土崖記号となっているが、潅木もみられるため、それを伝って行きさえすればどうにかなりそうだ。けっこうな急斜面が続き、枯れたイタドリに掴まっても折れるばかりで当てにはならない。四つんばいになって前へ体重を移動させればまだまだ登れそうだが、これ以上傾けばそれも無理な注文といえる。クライマーと薮漕ぎスペシャリストの両立を目指すOtaさんにとっては一挙両得といったところだろう。

三角点発見の決め手となった棒杭 二等三角点(西徳富)

Otaさんを先頭に何とか頂上台地上へと抜ける。ここから頂上まではわずかだが、笹原となっていて、この日一番の手強そうな濃さとなる。ツル植物もからまってなかなか前へは進ませてくれない。右手にも高みが見えるので、ひょっとしたら間違ったところを歩いているのではと少々不安になるが、そんな不安もすぐに払拭された。Otaさんから「あった!」との声、偶然にも笹薮の中に「大切にしよう三角点」の棒杭が見えたとのこと。三角点がそのまま頂上を示しているわけではないが、やはり多くの場合で頂上の証となっているのは確かだ。同じ雨降りの籔漕ぎでも三角点を踏んだか踏まないかでは気分的に天と地ほどの差がある。これを見つけずに下山した場合、自分の登頂にも何となく不安が残るものである。積雪期であれば展望の山と言われるこの山も、見えるものは回りの笹薮と頭上の樹木、そして三角点のみである。降りしきる雨の中、雨具を着込んでビールで祝杯、すぐに下山開始とする。

籔の下山ルートは登り以上に難しく、何度か方向を見失うがその度に修正を加える。もしも間違えてしまった場合、この雨と風では下手すれば命取りともなりかねない。若干右寄りに入ったようなので急斜面で左寄りに修正、無事登ったルート上へと戻る。あとは登りで使った集材路跡を一路尾根末端めがけて進むだけだ。途中、林道跡に出てからも一ヶ所分岐を間違えそうになる。本降りとなった雨のせいか、つい億劫で行動中に口にしたのは頂上ビールのみであった。カロリーのある行動食を口にしていなかったために判断力が低下していたとでも分析すればそれなりなのかもしれないが、それも少々大げさな話である。結局、車が見えたところで正午のサイレンを聞く。雨具のズボンを履かなかったために長靴の中までずぶ濡れ状態となったが、下山完了後の満足感には格別のものがあった。作戦通りに終了したことや雨風のハンデを乗り越え目一杯行動できたことによるものだろう。積雪期にスキーやスノーシューで展望を楽しみながら登るのも良いが、雨の籔漕ぎで見つけた三角点はそれに勝るとも劣らないスペシャルな山からのスペシャルな贈り物であった。(2010.11.14)  

Otaさんの山行記

参考コースタイ 林道入口P 7:55 → 直登沢出合 8:25 → 鷲峻山頂上 10:05 、〃 発 10:15 直登沢出合 11:40 林道入口P 12:00  ( 登り 2時間10分、下り 1時間45分  )

メンバー】 Otaさん、saijyo、チロロ2

<最初へ戻る