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   知内・丸山(665.3m) 〜 函館マウンテンクラブ と共に

 

旧矢越小学校 と 尻内・丸山(中央左)

1/25000地形図 「涌 元」

シャクナゲが見事な花を咲かせていた
頂上への稜線に乗って一休み

7月の緑の葉は、活気が満ちていて美しい

下草がほとんどない斜面を進む
見るものの気持次第でいろいろな顔に見える「八面樹」
「百手観音」も また、見事な樹木といえる  ここからしばらくは平らな斜面となる

「百手観音」は見事な樹木  ここからしばらくは平らな斜面となる

我が「函館マウンテンクラブ」のメンバー  頂上にて

  知内町には知内山地という海に突き出した山塊があり、海岸線に迫る険しい地形は道南の知床とも呼ばれているそうだ。この山塊の最高峰は地形図上に山名はないが知内岳(854m)で、一等三角点がある丸山よりは160mほど高く、標高差で言えばJRタワーほどの高さの違いがある。何れはこの山塊の全ての山に登りたいと思っており、手始めは登山道のある丸山からである。昨年一度、この山を計画したが、雷雨によって敢無く中止、手ぶらで小谷石を後にしている。今回は我が「函館マウンテンクラブ」の山行に参加してのリベンジとなる。

                                 

  その函館マウンテンクラブだが、自分の所属している山岳会であるにも関わらず、札幌在住の私としては会の行事にもなかなか参加出来ずにいた。道南は私にとっては未踏の山ばかりで、ここのところ道南へ出かけることが多くなり、自然と函館までの距離が縮まったようにも感じていた。そんな中、先日の斎藤さんの捜索でIwa会長と巡り会う。sakag氏が北海道新聞の「まど」で「今回のことがなければ、出会えなかった人もいるはず。山を誰よりも愛していた斎藤さんが、最後に私達に山を通して絆をプレゼントしてくれた」と語っていたことを思い出す。5月、大千軒岳でご一緒した「青い山脈」の方々との出会いもそうだったが、捜索活動に参加させてもらった私としては斎藤さんには感謝しかない。

 

  廃校となった矢越小学校前が丸山への登山口である。旧矢越小学校は 地域住民のために整備されていた体験交流施設で、付近の山々への宿泊施設ともなっていたようだ。ところが、なぜか解体作業中となっていて、ロープが張り巡らされている。解体をもったいないと考えるのは札幌に住む外部のものの意見かもしれないが、正直もったいない。登山口にあるこの宿泊施設は周囲が森に囲まれ、鳥の声も多く聞かれる静かな所。「山の日」の制定が決まった昨今、これからの登山ブームはますます盛んになるだろう。地元によって登山道も整備されつつあるさなかでのこの解体は何とも解せなかった。

                         

  学校横から道路を進むと丸山への立派な標識があり、ここが実質上の登山口である。沢に降りる踏み跡程度の小道で、標識がなければ見落としてしまうだろう。砂防ダムの平坦地を抜けるといよいよ丸山への登りとなる。道央には見られない杉やブナの樹林帯だが、さすがにここのところの道南山行も回を重ねており、違和感無く受け入れられるようになった。シカが多いとのことで、下草が育たないらしいが、殆ど下草が無い斜面はどこでも歩けるのが良い。そのためかもしれないが、急斜面はそれなりの斜度で、ぐんぐんと標高を上げて行く。

 

「百手観音」で一休み、やっと一息つく。途中の「八面樹」もそうだったが、ブナの大木は時にとんでもない顔を作り出す。まるで樹木の精でも宿っているかのようである。いや、確かに「八面樹」には宿っているような気がする。見るものの心一つで恐ろしくも感じるし、優しくも感じる。ちなみに、私にはなぜか恐ろしく感じられるので、自分の心に手を当てて考える必要がありそうだ。「百手観音」からしばらくは「千畳敷」と呼ばれている平坦地となり、ひと呼吸整えることが出来る。

                  

  この日は初参加の会員も数名いて、パーティ全体としてはスローペース、にも関わらず気温が高く汗が噴出してくる。もし、自分一人で登っていれば、ついハイペースとなってしまって、脱水症ともなりかねない。再び急登となり、ここは焦らずゆっくりとが原則である。先頭を行く Iwa会長がメンバーを気にしながらペースを作ってくれるので、暑い割には以外と楽に標高を上げることが出来る。そのおかげか、初めてお目にかかる会員との会話も楽しむことが出来た。ひょっとしたら札幌在住の私でも、何かこの会で手伝えることがあるのではないだろうか? つい、そう考えていた。 

              

尻内・丸山の一等三角点と金麦 帰路、ガスも上がり「鹿立」付近からは小谷石の集落が見える

  「風岩」を廻り込んで「鹿立」へと抜ける。この頃から山の雰囲気は高山的な感じとなるが、ガスが覆っていては眺望など何もない。ただ、青空が覗いているので、日が照ってくればガスが消えるだろうと期待できる。しばらく進んだところで、丸山は既に過ぎて奥丸山へ向かう縦走路にいるのではないか? との話となる。GPSのスイッチを入れてみたところ、頂上はまだ500〜600mほど先だが、あとで聞いたところでは以前はここが丸山頂上だったとのこと。メンバーのAb氏はかなり以前からこの山域には足を踏み入れていたらしく、以前はコンタ600mの地点が丸山頂上と言われていたようである。確かに、それを物語るかのような古い棒杭が、笹籔の中に残されていた。現在の丸山は一等三角点が設置されているところが頂上で、地形図にもその名が載っている。 

               

  先ほどまでの急な登りはなく、稜線上の一本道を辿ると最後の登りとなる。空は青空に変わるが、相変わらず眺望は覆われたガスの中。刈り払われた少し広くなった草地が知内丸山の頂上であった。さらに続く踏み跡も見られるが、Iwa会長によれば奥丸山へと続くルートらしい。少し進んでみたが、かなりの籔に覆われた状態である。将来的に知内岳や奥丸山を目指すのであれば、やはり積雪期、特に天候が安定する3月・4月が良さそうだ。ともあれ、函館マウンテンクラブの一員として、頂上の記念写真に納まる。もちろん私だけだったが、登頂を祝っての金麦も。 

             

   下山時、ガスも消えて眺望が広がり始める。遠く、 旧矢越小学校の赤い屋根や 車を止めたグランドが見える。雷雨のために悔しい思いで立ち去った昨年の山行だったが、今回は函館マウンテンクラブの仲間と共に登頂を果たす。一度も参加することがなかった山岳会ではあったが、会員としての思い入れだけは一入のものがある。人間万事塞翁が馬、山に登り続けてさえいれば、これは山の世界でも立派に通用することわざなのだと思えた。(2014.7.6)

参考コースタイム】  旧矢越小学校 P 8:20 → 知内・丸山頂上 10:35、〃 発 11:25 →  旧矢越小学校 P 13:10 (登山時間 登り2時間15分、下り1時間45分)

メンバーIwa会長、Nai女史、他 函館マウンテンクラブのメンバー、saijyo、チロロ2

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