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       斜里岳(1547m) ・・・旧道コースから

日本百名山、斜里岳の雄姿

/25000地形図  「斜里岳」

斜里岳・清岳荘管理人に就任した熊ぷ〜さんとエル
登山コース上に現れる“羽衣の滝”
思いがけず滑床が現れる

言はずと知れた「日本百名山」(深田久弥著)の一山である、名峰・斜里岳へ敢えて登ろうと思ったきっかけは、当ホームページのリンク仲間である、「山の旅人」管理人である熊ぷ〜さんこと吉田さんが、同山の清岳荘管理人に就任したことである。もちろん相棒のエルと一緒の着任であり、山ヤの中の山ヤである吉田さんの勇士をぜひ一度、覗いてみたかった。札幌から訪れるのであれば最低限2日間は必要であるため、連休となるお盆休みを使うことにする。今回は “地図がガイド…”チームではなく、ファミリー登山であるが、息子は5ヶ月後に大学受験を控え、それどころではないようであり、今年の登山は夫婦2人である。

車が清岳荘へ到着すると山荘前にはパトカーも停まっていて、さすがにメジャーな山であることを実感させられる。車上荒しが横行するほどの登山ブームである昨今、新清岳荘も建設中であり、林道での交通事故も多発するとあって、パトカーが巡回しているようである。多くの車が停まっているため、清岳荘までは車では入れない。直ぐに車を降りて、清岳荘へ近づいて行くと熊ぷ〜さんが立っていて、こちらに気付きニッコリと笑う。100名山の一般登山コースには似つかわしくない、山男の笑顔である。着任してからの2ヶ月間の苦労がにじみ出ているようにも感じられる。今までになかった一般登山者への気遣いや管理人としての責任の重さなど、責任感の強い熊ぷ〜さんにとっては山とは違った別のプレッシャーが相当に大きいのかもしれない。

途中にはこんな滝も! 頂上へはあとひと登り
山の安全を守る祠 金属製の二等三角点

私の今日の予定は旧道である沢コースの往復である。清岳荘横から登山道は続く。出遅れたこともあり、駐車スペースを埋め尽くしている車の持ち主である登山者の姿はない。出掛ける時、熊ぷ〜さんから午後からは雷予報が出ているとのアドバイスを受ける。清岳荘からは歩道が沢沿いに続く。何回もの渡渉を繰り返し、新道分岐からは滝も現れる。一般道とは言え沢登りの要素も混じっていて、それなりの注意が必要である。通称“羽衣の滝”を過ぎると沢中を登ることになるが、意外にも現れたナメ状の登りは実に楽しく快適である。ここを通過すると尾根コースである新道と合流し、コルへの登り“胸突き八丁”である。さすがに日本百名山であり、大型バスが一台、林道上の回転可能なスペースで待機していたが、そのお客さん御一行と思われる関西から来た団体とすれ違う。

コルからの登りに一汗流すと祠が祭られている頂上の肩に到着である。銀色の新しい祠であるが、妻は早速息子の合格祈願で手を合わせている。ご利益の程は判らないが、甲子園の高校野球で駒大苫小牧が北海道初の準決勝に進出し昼頃から試合が始まることもあり、いち早く下山したことが幸いして、下山後のバケツをひっくり返したような局地的豪雨からは逃れることができた。この祠の主が山の安全に関しては守ってやるが、それ以外は遠慮したいね…との意思表示をしているかのようにも感じられた。頂上を示すケルンは30年前に訪れた時とは変わって、新しくモダンなものになっている。三角点は少し下ったところにあり、金属製である。天候は下り坂であり、斜里の市街地やオホーツク海の一部が望める程度で、楽しみにしていた知床の山並みはガスがかかっていて見ることができない。

下山は登りと同じ沢コースであるが、ほとんど登山者には出くわさない。下山してみると、登ったときとほとんど変わらない状態で清岳荘前が車で埋まっている。大勢のすれ違った登山者は一体どこに消えたのだろうとしばし考えるが、考えられるのは新道コースを辿っていることくらいである。だとすれば新道コースよりも旧道コースの方がかなり短いということである。

蛇足ではあるが、下山後直ぐに熊ぷ〜さんに甲子園のスコアを尋ねたところ、4回を終わって7-3で駒大苫小牧が東海大甲府に4点差をつけているとのこと。今日中に札幌へ帰り、明日は歴史的瞬間をこの眼で確かめなければならない。(2004.8.21)

【参考コースタイム】 清岳荘・登山口 9:50 → 馬の背 11:25  →  斜里岳頂上 11:45、〃発 12:05 →  馬の背 12:15 → 清岳荘・登山口 14:05

メンバーsaijyo夫妻

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