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   九郎岳(802m)二股(825.6m)弥五兵衛(649.9m)

1/25000地形図 「木地挽山」

稜線上から望む三九郎岳
取り付き付近から二股岳
山名から受ける印象とは違って、あまり特徴のない弥五兵衛岳
グリーンピア大沼を過ぎて、奥のゲート前に車を止める
取付く尾根では伐採作業が行われている
三九郎岳から望む駒ケ岳

  三九郎岳に弥五兵衛岳、北海道らしからぬ和名の山名である。この一帯は慶長年間に、時の松前藩主・松前慶広が定めた居住分離政策によって和人地と定められ、松前藩の直轄地としてアイヌ人の居住を制限していたらしい。そんな歴史の中で、地名自体もアイヌ語の影響をあまり受けなかったようである。そこで、“三九郎”と“弥五兵衛”である。こちらの山名は町史にも地名辞典にもその記述を見つけることが出来なかった。三九郎については、その近くに四九郎という標石もあるので、人物名かもしれないが、ひょっとしたら、長野県あたりのどんど焼きに因んでの地名とも考えられる。このことは瀬棚町の新成地区の南端に、以前は三九郎歌(さんくらうた)という地名があったようで、この時代に長野県に関係する人物が関わったとすれば、普通に地名となってもおかしくはないように思う。一方、弥五兵衛については、地元に住み着いていた猟師、あるいは木こりの名であろう。この地区には○○兵衛といった沢の名が他にもあり、こちらについては猟師に因んだ名称と町史には載っていた。もう一山、二股岳については読んで字のごとく、大野川支流の二股沢川からである。

 sakag(一人歩きの北海道山紀行)二年前の記録を参考に、グリーンピア大沼の奥からのスタートである。送電線下のゲートは閉っているが、カラビナで閉じているだけ、ゲートの下は潜れないので開けて入る。林道は所々で地面が出ていて、そろそろ積雪も消えかけている様子。取り付きは橋を渡ってすぐの地点で、笹薮をかき分けて無理やり尾根に取り付く。後で判ったが、尾根上に沿うように作業道が入っており、その入口さえ知っていれば無駄な藪漕ぎをしなくてもかったようだ。作業道路は502mピークへの登り口付近まで続いている。502mピークへはひと登り、この日予定している中間地点の二股岳(反射板が目印)まではまだまだ遠い感じである。途中、三等三角点「三九郎岳」が埋まった759mピークの地味な山容が対岸に見える。

 いくつかコブを交わしながら進んで行くと、稜線の向こう側から海に浮かぶ函館山が姿を現す。また、この地域では抜群の存在感がある駒ケ岳も樹林の間に見え隠れしている。前方には三九郎岳のピークが斜面の向こう側に現れるが、それは直ぐ南側の小ピークだった。三九郎岳は手前ののっぺりとしたピークで、意気込んでやってきた割にはあっさりとしたものだった。木々が邪魔する程度で、この時期であればそれなりの展望は得られる。何と言っても、あまり訪れることのない山域でもあり、ピークからの眺望はやはり新鮮だ。先が長いので、行動食を摂って直ぐに三九郎岳を後にする。

 南側のコンタ800mからは一気に100mの下り、しかもコル付近まで下ると笹薮漕ぎとなり、一気にペースダウン。先週末のものか、雪面には足跡が残っている。ただし、よく見てみると5本爪、クマか?… いやいや、アイゼンは2本、そうか!スノーシューのアイゼン(クランポン)だろう。ただし、フレーム部分の跡が見えないので、クマかもしれない。足跡を検証しつつ進んで行くが、歩幅はクマの足跡との比較では少し狭い気がする。そのうち尻滑りの跡が現れ、ついつい昔のテレビで放映されていた千秋庵の山親父を思い出して可笑しくなった。まさかクマが尻滑りなどしないだろう。結局、スノーシューと判明。きっと、私のようにsakag氏の記録を見てやって来たのだろう。この日としては、この山域でのクマの形跡は一つも見られなかった。後で判ったが、クマも尻滑りをするらしい

 途中、739mのコブ付近は迫力ある雪庇の塊に圧倒されて、かなり尾根筋を意識して一部藪漕ぎとなるが、よく見ればそんなに傾斜もなく、恐れるに足らずといったところだ。経験を積むうちに自然の造形に対する必要以上の恐れについては克服したつもりだが、やはり基本的に私が臆病者であること自体はあまり変わっていない。781m776mのコブを難なく通過して、二股岳への登りとなる。気分的にはかなり順調である。sakag氏の記録で見た360°の素晴らしい眺望を楽しみに最後の斜面を登り詰めると、目前に反射板が現れる。この日二山目となる二股岳の頂上である。函館山が海に浮かんでいる様子は道南の山にいることを実感させてくれる。三九郎岳の頂上よりも一枚も二枚も格上の眺望であることは言うに及ばずである。時間的にはここまで3時間、この分で行けば5時間くらいでは踏破できるだろう。  

三九郎岳頂上 二股岳への稜線 大きな雪庇は既に落ちている
二股岳まではアップダウンの繰り返し 二股岳頂上に到着 ここまでは快調だったのだが…
弥五兵衛岳頂上の手製の標識 弥五兵衛岳頂上と金麦 最高に美味かった!

  さて、二股岳からの下りだが、ルートが見つからない。sakag氏の記録は印刷して車に入れてきたが、それを読むのは下山後のお楽しみとしていた。うろうろと下りのルートを探すが見つからない。GPSを取り出したところ、どうやら覗き込むのも怖そうな雪庇側の斜面のようだ。恐る恐る覗き込むと、ええっ! 嘘でしょ… といった光景。高所恐怖症を自負するsakag氏はいったいここをどうやって下ったのだろう? そうは言っても氏がここを通過したのは事実であり、私も意を決っして斜面へと入る。もしここで、うっかりつまずきでもしたら、いったい何処まで滑り落ちてしまうものやら… そんな思いが頭を過ぎる。既に時計は午後1時を回っており、こんな状況の中では雪面が腐っていることだけが唯一の救いだった。

こんな下りは予想外 あまりお勧めではない
この写真では伝わらないが、かなりの急斜面

  とは言え、ところどころで凍った硬い雪面も残っており、慎重の上にも慎重に、比較的傾斜が緩く見える一本北側の小尾根を下ることにする。けっこう下ったのでは… と、ほっと一息。だが、上部を見上げると未だ頂上直下でしかない。全体的に見ればほとんど下っていないようなもの。そんなことを何度か繰り返して行くうちに、少し傾斜が緩くなったように感じる。どこかで、本来の尾根筋へとトラバースしなければならない。流行遅れかもしれないが、「では、いつやるか…今でしょ」こんな言葉がぴったりの状況だった。谷筋の急斜面には崩れ落ちた雪庇の塊が転がっており、斜面自体の雪渓もパックリと大きく割れている。割れた雪渓の上を恐る恐る渡って、雪の塊の直下を素早く通過、何とか本来のルートへと逃げ込む。登山の基本から言えば、かなりそれを逸脱した行動となったのは事実だった。尾根筋自体も一筋縄では行かない急斜面、最後は残置された古いお助けロープを利用してやっとコルへと降りる。ルートの核心部とも言える急斜面の下降だったが、もう少し早い時期とか早朝ともなれば、さらに難儀したことだろう。できればピッケルくらいは持参すべきだったと反省する。 

  さて、残るは弥五兵衛岳。さすがに疲れたのでコルで大休止とする。弥五兵衛岳までの尾根筋は緩く、途中で何度か振り返って二股岳の斜面を望むが、つくづく怖いところを下ったものだと思う。弥五兵衛岳への稜線上、雪の消えたところでは歩道? が姿を現している。残置のお助けロープもそうだが、雪が消えれば登山ルートが現れるのかもしれない。649mの小ピークから見える弥五兵衛岳はけっこう遠く感じたが、わずか20分ほどでピークに到着となる。この日三山目の弥五兵衛岳、名前の面白さから、ぜひとも一度は踏んでみたいと思っていたピークの1つだった。sakag氏が暖めていた計画のおかげで、効率よく3山ゲットとなったことには大満足。感謝、感謝である。大事に持って来た「金麦」だが、三九郎岳や二股岳では絶対に飲みたくなりそうなのでザックからは出さなかった。雪面の向こう側に見える遮るもの無しの駒ケ岳が素晴らしく、それを背景に1枚。「金麦」を飲みながらここでも大休止とする。弥五兵衛岳からは先週末のものと思われる足跡が尾根末端方向へと続いているのでそれを辿るが、標高を落として行くうちに判らなくなり、途中から現れた作業道を使って尾根末端へと向かう。最後はそのまま尾根を下ってダムへと出るが、ダム堰堤上は通過出来ず、川の渡渉と少しの藪漕ぎで往路のトレースに飛び出す。

 林道入口への到着時間はsakag氏と全く同じで、ちょうど6時間。途中、二股岳までは意外に早く到着し、ひょっとしたら5時間くらいで下山できるのではと考えていたが、そうは問屋が卸さなかった。私のようにsakag氏の計画を真似る登山者はきっと今後も出てくるだろう。だが、二股岳からの急斜面の下降を前提とした計画の場合、時期と時間を考え、それなりの装備と時間的な余裕は必要だと思う。(2014.4.11)

  【参考コースタイム】  グリーンピア大沼ゲートP 10:10 → 三九郎岳頂上 12:10、〃 発 12:20 二股岳頂上 13:30 、〃 発 13:35 弥五兵衛岳頂上 14:50、〃 発 15:00 グリーンピア大沼ゲートP 16:10   ( 山行時間 6時間 )

メンバーsaijyo

      

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