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 三毛別山(445.9m) ・・・「熊嵐」から登る山

佐官別山から見た三毛別山 (Ikkoさん提供)

1/25000地形図 「ルペシュペナイ川

尾根上から見た大滝の全容
三毛別・羆事件の現場 慰霊碑も立てられている
林道に入って早めに車を置く
小さな滑床となっているウエンナイ川を行く
尾根の途中から見た三毛別山

 三毛別と言えばすぐに吉村昭の小説「羆嵐」を思い出すが、この三毛別山は正にその三毛別羆事件の現場が入山口である。事件現場にはそれを再現した実物大のジオラマが設けられており、手前200mで舗装が切れてしまうこともあって、夕刻などにここを訪れると、何とも薄気味悪さを感じる場所となっている。もしも霊というものが本当に存在するのであれば、霊気漂う場所とでも表現すればぴったりかもしれない。こんな暗い気分にさせられる山だが、こんな山ですら道内全山登頂を目指すKo玉氏は登らなければならない。全山登頂とは何とも過酷である。だが、ゲートを過ぎると、なぜか羆嵐の暗さは吹っ切れて、いつもの我々のフィールドと感じるから不思議なものだ。やはりメンタル的な部分が大きいのだろう。ちなみに三毛別の名だが、川べりに立っていた看板には「サン・ケ・ペツ(san-ke-pet 山から浜へ出る・処・川)の意味で、冬の間 川の上流に部落を作って狩をし、夏になって海辺の部落へ出るとき、この川沿いを通路としたことから名付けられた」とあった。

 ウエンナイ沢沿いの林道は車での走行には心許なく、あまり深入りしない地点に車を止める。この崩れかかった林道にはタイヤ痕もなく、滅多に人が入ることはないのだろう。林道は車を降りてからも十分に走れそうな状態でしばらく続くが、やがて枯れた夏草が覆う状態となり、その中に続く獣道を進んで行くうちに両岸が迫って完全に途切れる。地形図上の林道終点はさらに二〜三百メートルほど先であるが、ここより先は消滅してしまったようだ。予定の南面の直登沢出合までの区間は時々現れる滑床を楽しみながら沢の中を進んで行く。両岸の草は下流へ向かって寝た状態となっており、昨日あたりは水位が上って、けっこうな流れだったのだと推測される。目的の直登沢出合にはすぐに到着するが流れはかなり少ない。渇水期には枯れるかもしれないと思わせるほどだ。両岸からの根曲がり竹が小沢を覆っているので、沢を歩きながら藪を掻き分けなければならない。買ったばかりの最新のGPSを眺めていると、地形図の水線を中心に軌跡が左右に大きく蛇行している様子が判る。このままでは敵わないと思いつつ歩いていると、意外にも5〜6mのF1が現れて驚かされた。こんな小さな沢なので、きっと最大の滝であろう。直登は無理で、右岸側の藪につかまって滝上へと出る。

 沢の様子が落ち着いてほっとしたのもつかの間、先頭を行くKo玉氏が「オー」と一声、いつもの羆対策かと思ったが、よく見てみると今度は落差15m(目測)二段?の滝が行く手を塞いでいた。上部にはさらにそれに続く滝もありそうで、一瞬どうなっているんだと自分の目を疑ったぐらいだ。絶対無理! 一目見てそう思った。この山域で数多くの山を制覇してきたKo玉氏にして、こんな滝はこの辺りでは見たことがないと言わしめるほどの大物だった。もっとも、山域が山域だけに、現れたものが羆でなかっただけでもラッキーだったと思った。地形図上からはV字状の緩い登りが予想されたが、実際は滝マークが記されてもおかしくはないほどの段差である。Ko氏曰くは「地理院で調査に入ってないね〜」 正しくその通りだと思われた。

滝が描かれていない地形図

 標高400m程度の低い山、こうなれば単なる滝の高巻きではなく、沢ごと巻いてしまった方が無難かもしれない。この日はKo玉氏とのコンビ、他には誰も参加していないので、とことん泥臭さで勝負しても全然OKである。少し下流の右岸側の尾根に取り付く。藪は薄く、思っていたよりは登りやすい。木々の間からは滝の全容が見える。やはり二段15mの直ぐ上にもう一つ10mくらいの滝があり、三段の滝であることが判った。たとえ沢筋に戻ったところで最後の詰めは間違いなく急傾斜となる。であれば、このまま進んで様子をうかがうのが得策との結論となる。何時になく率先して先頭を進むKo玉氏、全山登頂が見えて来たこともあって気持に余裕が出てきたのか、以前に比べ人が変わったように穏やかになったような気がする。ひょっとして、これが前人未踏の大業を目前にして、ある意味で悟りを開いた人間の境地と言えるのかもしれない。

尾根を登って行くと次々と集材路跡が現れる。「熊嵐」の総本山とも言えるこの山だが、熊嵐以後にこの山でも大規模な集材作業が行われていたということだ。もっとも熊嵐は大正時代の出来事、その当時は丘珠事件を見ても、現在の私の職場がある美園や平岸にも人食い熊は出没していたようである。時代は既に移り変わっているということだろう。集材路跡を利用して少し進んでみるが、斜面のトラバースとさほど変わらず、尾根筋に上った方が藪も素直で歩きやすい。新調したGPSは“みちびき効果”か、藪の中でも簡単に衛星を捉えることが出来る。文明の利器とは凄いものだ。縮まって行く頂上までの距離に、もはや距離感などは感じない。

この中にOgino氏が登っていた佐官別山もあるようだが、どれがどれだかさっぱり判らない
Ko玉さんのこんな写真が1300枚以上あるらしい …三毛別山頂上にて

  竹も細いものが多く概ね薄い藪だが、頂上手前ではかなり濃い藪となって行く手を阻む。だが、ちょっとしたルートの取りようで、少しずれればどうといった感じではない。いよいよ三角点、先頭で乗り込んだKo玉氏だが、なぜかこの日も三角点をオーバーラン、後続の私がすんなりそれを発見した。中記念別山に続いての私の連勝である。三角点の匂いを知っている男も、ここにきて何か変調を来たしているようだ。それだけ北海道の全山登頂とは恐ろしい記録ということなのだろう。頂上はこの手の山としては開けているが、位置を移動しなければ眺望は得られない。目立つところでは留萌ポロシリ山が見えるとKo玉氏は言っていたが、それ以外はマイナーピークに囲まれた山域でもあり、見事な山容の山などあるはずもない。私のレベルでの山座同定は無理というもの。

 下山の翌日、道北ヤブ山日記」Oginoさんからメールが届き「私も三毛別山のすぐ近くの佐官別山に1人で入っていました。ニアミスでしたよね…」とのこと。さすが、この山域に特化しているOginoさん、ここはやはり彼のホームグラウンドということだろう。この山域で隣り合った二山にそれぞれ登山者が入っている状態、羆の生息密度が人間の密度よりも濃いと思われるこの山域とあっては正しくニアミスに他ならなかった。今度は、我々もこの佐官別山にも入らなければならないだろう。Ko玉氏の目指す山は、もはや奥深い低山の藪ピークしか残っていない。残された未踏のピークはわずかに92山、確実にカウントダウンは始まっている。(2013.09.29)

【参考コースタイム】 ウエンナイ川 林道 900 → 直登沢出合 9:35 三毛別山頂上 11:50、〃 発 12:15 → 直登沢出合 14:15 → ウエンナイ川 林道 1445  (登り 2時間10分、下り 2時間30分)

メンバーKo玉氏、saijyo

 

三毛別山 〜再び

倒木を使って大滝一段目をクリア

 この山へは二度と来ることはないと思っていた。だが、それはどの山にも言えることで、成り行き上とはいえ何度でも訪れることがある。日高町のシキシャナイ岳に至っては今度こそ最後が6回も続いている。しかし、さすがに「羆嵐」の三毛別山、それはないだろうと思っていた。だが、sakag氏が登ることになり、しかもIkkoさんが一緒とあっては、さすがにもう一度登ろうか! という気になった。

二段目も難なくクリア

 当初は昨年の秋にKo玉氏と共に訪れた藪漕ぎルートから三毛別山へと登る予定だったが、さすがに大滝の下まで行って、登れるかどうかを確かめてみたい気になった。同行したIkkoさん、彼は果敢な人で、高巻いてでも滝を突破しようとの意気込みである。昨年の私の山行記も印刷して持参して来る念の入れようで、最初に私がこの滝に出会った第一印象である「絶対無理」が本当かどうかを検証してみたいようだ。近づいてみたが、確かに立派な滝だった。だが、どんな滝にも弱点はある。当初は手前のルンゼ状を登って高巻くことを考えたが、このケースではルンゼから滝上へのトラバースが嫌らしいことが多く、事故が起こるのは大抵はこんな時である。

 やはり無理か!… と引き下がってはみたが、降りてみると倒木が左岸側に寄り掛かっている。これを利用すれば上へと抜けられるのでは… 確かめるつもりで近づいてみると、がっちりと固定された状態となっており、朽ちてはいないようである。さっそく登ってみると、意外と簡単に一段目を抜けることが出来た。ところが、トップで登ったにもかかわらず、肝心のザイルがない。Ikkoさんに投げ上げてもらう。けっこう苦労の末、何とかザイルを手にする。上がってみれば二段目も左岸側から斜めにクラック状の手掛かりがあり、難なく大滝をクリアしてしまった。こんな山のこんな滝だが、正直すっきりしたというのが本音である。その後は45m程度の滝が1ヶ所、結局、完全な沢詰めで三毛別山に到達することができた。同じ山を何度も登るのはつまらないかもしれないが、ルートを変えれば、こんな喜びや充実感が味わえることも事実である。(2014.6.28)

 

「一人歩きの北海道山紀行」sakag氏の記録へ

 

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