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  我が家の三男坊「サブロー」

「地図がガイドの山歩き」管理人 

我が家の三男坊は2歳半になる雄のサブローである。通りがかりのペットショップで見つけた白黒のブチのポメラニアンで、数年前の麻生内閣の時代に妻が勝手に家族全員分の定額給付金をはたいて買ってきた。だが、はっきり言ってこの可愛さは別格だった。私の持論は“犬は自然のままが良い”で、しつけというものを一切せずに、大いに甘やかせて育てた。結果、だれもが決して預かってはくれないほどの天真爛漫なワンコと化した。だが、持って生まれたものなのか初対面の人間にはたいそう愛想がよく、良い犬を演じているためか可愛いワンちゃんと喜ばれることが多い。

こんなサブローだが、私にとっては日常生活の大事なパートナーとなっている。週1回のペースで山登りをやっているので運動についてはOKと考え、そのためのトレーニングの必要性などまるで頭にはなかった。ペットショップでは室内犬なので散歩はいらないとの話だったが、あれこれ連れまわしているうちに1回の散歩で軽く4〜5kmは歩きまわる普通の犬に成長した。当然のことながら、今ではこの相棒を十分に歩かせ、納得させなければゆっくりと寝ることさえも出来ない。これは飲んで帰った日は当然のことながら、かなりきつい山に登ってヘロヘロになった日でさえも変ることはない。雨や雪が降ろうとも同様である。もっとも、山へ行けばどんな気象条件下でも行動しなければならないことだってあるし、無理してでも歩かなければならないことだってある。そんなことを考えると、余程のことでもない限り散歩を中止とする理由は作るべきではないと思っている。

犬は人間とは違って純粋そのもの。変ることのない信頼感を持って主人に接してくる。散歩の時間が迫ってきた時の訴えかけるような透き通った目を無視できるほど私も冷淡にはなれない。仮にサブローがうるさく、面倒くさく感じられるようなことがあれば私の方に問題があり、自分の日常生活の中に何か反省点があるのではないかと思った方が当たっているのかもしれない。言うなれば、自分自身を見つめる一つのバロメーターと考えても間違いはなさそうだ。今後、迫ってくる私の老後、最後の山登りとなる日は必ずやって来る。その日を一日でも遅らせるためには、いつでも歩き、歩くことに対しては決して億劫とは考えない自分を作っておかなければならない。そんな意味も含め、私にとっては妥協を許さない、願ってもない相棒だったと言えるのかもしれない。

犬は飼いたいがやがて訪れる別れが辛いということをよく耳にするが、私はそうは思わない。飼われた犬の生涯において、私が関わることによってその犬がより幸せな一生を過ごせるなら、それはそれで納得すべきことだと思う。その時が辛くて耐えられないというのは飼う側の身勝手な感情に過ぎず、可愛がられていた犬が飼われたことを悔いていることなどありえない。井伏鱒二ではないが、やはりさよならだけが人生だ=@私はやがて訪れるサブローとの別れを決して辛いものとはしないよう、日頃からの散歩という共通の時間を出来るだけ楽しく過ごすよう心がけている。                    

 

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