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    ポロヌプリ山(841m)

  

   

  
419m小ピーク付近から見たポロヌプリ山

1/25000地形図 「ポロヌプリ山」

ゲート前に車を置く                夏の沢ルートであれば出合は1.5km先となる

 ポロヌプリ山の存在を知ったのは今から30年以上も前のこと、駅前の書店で買ってきた「北の山脈」(北海道撮影者)という季刊誌を読んだ時だった。その中に「ポロヌプリ紀行」という題名の紀行文があり、この山についての描写が実に新鮮だった。山についてはまだまだ駆け出しだった自分としては、遠い道北の山への憧れも手伝って、機会あれば、ぜひこの山の姿だけでも見てみたいと思っていた。あれから40年近くもの歳月が流れてしまったが、この山への憧れは今も変わっていない。今回この山に登って、下山後にこの文章を探してみたところ、何と、故三和裕佶氏によるものだった。三和氏と言えば、氏が亡くなった七賢峰の滝でのアイスクライミングには私も参加させてもらっており、前の晩には氏と酒を飲んで初めて会話を交わした思い出がある。不思議な巡り合わせと、つくづく今になって思う。三和氏の文章にはポロヌプリの語源として更科源蔵解で「大事な山、目標となる山」とあった。確かにそうかもしれない。下山後、枝幸に向かう車窓からこの山を見たが、大きく広がる真っ白な山容は、一目でそれと判る特徴的なものであった。

ポロヌプリ山がぐんと近づく
強風の中 写真撮影を行うIkkoさん

 道内全山登頂を間近にしているKo玉氏が名寄在住時代に単独でこの山に登っている。Ko玉氏の登頂への作戦は、どういうわけか私と一致することが多く、素直にこの山を登りたいと考えれば、きっとKo玉氏のルートにたどり着くだろうと思っていた。パンケナイ川からのアプローチと聞いていたので、シアッシリ山の下山後は同林道からのルート偵察に入る。歌登市街から続く道路は意外に奥まで舗装されている。Ko玉氏から鉱山跡云々だけは耳にしていたが、その他の詳しい情報は聞き流していた。後で調べたところでは、ここの鉱山とは金山らしく、二ヶ所ほどあって明治期にはかなり賑わっていたらしい。思いの外、道路は奥へと進んで行き、道路側面からの落石が走行を邪魔する中、採石場に到着する。結局のところ舗装は採石場があるためのものであった。ここより先は未だ雪渓に埋まっている。歩いて行くとすぐにゲートがあって車の走行はどんなに頑張ってもここまでである。地形図を見ると、私が考えていた派生尾根の末端で、ここまで入ることが出来れば我々としては十二分、おつりが来るほどだった。

 
雪渓の急斜面を登る (Ikkoさん提供)

 枝幸の道の駅「マリーンアイランド岡島」での車中泊、翌朝仕切りなおしで再びゲート前へと向かう。あいにくの雨でスタートが10分ほど遅れるが、まずは昨日偵察していた小沢へと向かう。細い水流のある小さな沢形を進んで、途中からは急斜面に残る雪渓をつないで尾根上に出る。尾根上の雪渓は既に無く、北東斜面側に残る雪渓をトラバース気味につなぎつつ進む。419mの小ピークを過ぎると目指すポロヌプリ山が木々の間から見えてくる。コル付近を過ぎるとポロヌプリ山の全容が望まれ感動的だ。この辺りまで来ると完全に真っ白な雪面となり、まるで季節が逆戻りでもしたような感じである。硬い雪面は歩きやすく、さくさくと登ることが出来る。597mピークへの緩く広い斜面を登り、途中からピークを低く巻いてコンタ600mコルへと向かう。ポロヌプリピークはガスに見え隠れしているが、総じて天候は回復傾向。

 コル手前で90°方向を変えると、目指すポロヌプリ山が真正面となる。一見して遠いピークだったが、ここまで来れば直線的に進んでいるので、ポロヌプリ山がぐんぐん近づく感じが判る。濃いハイマツの緑と、顔を覗かせた真っ青な空、そして白い雪渓やダケカンバ等、春山を彩る顔ぶれが勢揃いといった光景となる。緩い傾斜を登りながら見ているため、山の丈が縮まったようにも見え、余計に山が近づいた感じがする。長い歳月が過ぎていよいよ最後の登り、ここも雪渓のある東側へと回り込んで頂上を目指す。南からの突風に飛ばされぬよう、体勢を整えながら一歩一歩雪面にステップを刻む。もちろん先を行くのはIkkoさん、今日も元気いっぱいで私が無量感に浸っている暇などはない。

 前ばかり見ていたので傾斜をあまり感じなかったが、後を振り返るとオホーツク海の広がりがそれなりに標高を稼いでいることを教えてくれる。ずっと見えていたこの山の特徴の1つである南側の岩場の横を通過、そのまま進んで行くとハイマツを漕がなければならなくなるので東側の雪渓をつなぐことにする。この山の頂上には二つのコブがあり、北側の方に841mの標高点があって、そこをピークとしているようだ。もっとも最近の地形図では南側の方に840mの標高点の記載がある。だが、わずか1mとはいえ、やはり北側がポロヌプリ山の上ということに変わりはない。我々も当然北側のコブを目指すことにする。残り100mの地点で雪渓が途切れる。後は藪漕ぎとなるので、とりあえずぐるっと北側で回り込んでみるが、ピークへとつながっている雪渓は無いようなので、比較的藪が薄そうな地点から藪への突入とする。

   
稜線上の雪渓は消えており、北東面の雪渓を進む 季節が逆戻りしたような雪景色となる
風のない岩陰に金麦を置く  ( ポロヌプリ山頂上にて )
風のない岩陰に金麦を置く  ( ポロヌプリ山頂上にて )

 ピークは露岩と草地になっていて、いかにも頂上といった雰囲気であった。強風の中、一番高いと思われる地点でカメラを構えるIkkoさん、しばらくはその場で頑張るが、堪らずに風下へと避難する。私もその最高地点に立ってみたが、ハイマツに捕まっていなければ飛ばされてしまいそうだ。雲は低いが360°の展望、特に印象的なのは東側に広がるオホーツク海である。どこと言って普通の海だが、独特の情感があり、何よりもその最果て感はやはり北の山でなければ味わえない特別のものだ。山座同定となると、さすがに昨年の秋に登った敏音知岳がすぐに指呼でき、そこからつながってペンケ山やパンケ山、イソサンヌプリと、ずいぶん最北の山々が身近になったものと感じる。いつもの金麦写真は金麦が飛ばされてしまいそうなので、最高地点での撮影はあきらめる。何はともあれ「北の山脈」No.33号発刊から35年、私もついにポロヌプリ山頂上に立つことが出来た。

 下山して数日後、Ko玉氏から電話があって、ポロヌプリ山のルートを聞いてみるが、私とまるで同じだった。今思い返せば、Ko玉氏は意外と簡単に登っていたような記憶もある。遠くて深い山といったイメージをずっと持ち続けていたが、結果的には頂上までわずかに2時間20分、結論から言えば、この時期であれば軽い山歩きということになるのかもしれない。(2014.5.4)

ポロヌプリ山の写真へ

参考コースタイム】  ゲート前 P 7:40 → ポロヌプリ山頂上 10:00、〃 発 10:20 → ゲート前 P 11:45 (登り2時間35分、下り1時間25分)

メンバー】Ikkoさん、saijyo

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