<戻る

     雄鉾岳(999.3)

翌日は晴天になり、雄鉾岳の全体を望むことが出来た(馬場氏撮影)

翌日は晴天になり、雄鉾岳の全体を望むことが出来た(馬場氏撮影)

/25000地形図  「遊楽部岳・春日・渡島鮎川・砂蘭部岳」

崖下を通過すると雄鉾岳頂上は近い
約30年前は多くの人達の生活の場であった八雲鉱山
沢中の登山道は日々変化して行く

  大岩壁によって特徴的な山容となっている雄鉾岳は道南にあってはかなり目立つ存在である。「そそり立つ」といった表現がぴったりの変化に富んだ山容は多くの目を引き、登山道が整備されていることもあってこの山域の定番とも言える山となっている。特に秋遅くには、紅葉と温泉を目当てに道央からこの山を目指す登山者は多い。 この山の最高地点はどこか?ということがたまに話題となるが、今回はGPSによって西峰の正確な標高を測ることを目的に再チャレンジとする。

登山口は林道終点で八雲鉱山跡である。ここから緩い傾斜の登山道を登って行くと銀山沢の大きな沢中へと進んで行く。右岸の斜面に付けられた登山道は細々と斜面を横切る形で続いていて、高度感もある。ピンクテープやペイントされた岩は随所にあり、注意さえしていれば見落とすことはないが、どこを辿ろうが沢中を進んで行けば430m二股へ到着することは確かである。430m二股からは沢の上流部となって変化もあり楽しいが、よく見るとやはりピンクテープが続いていて方向を示している。コンタ510mの水場を過ぎると岩壁の基部へ向いぐんぐん標高を上げて行く。基部を大きく左へ巻いて、鞍部へ向うルンゼ状を登ることになるが、別ルートも取れそうな気がする。時間的に余裕が出来れば周辺を探索してみたいものだ。

 頂上台地に上がると沢形などを上手く利用して登山道は続く。やがて緩い斜面を登り詰めると999.3mの三角点が設置された一般的な頂上に到着である。晴れていれば太平洋側・内浦湾と日本海を同時に望み、遠く奥尻島をはじめ渡島大島まで望めるが、残念ながら今回は全く展望がない。視界不良の中、以前から気になっていた西峰へコンパスをきる。

沢中での休憩。登山道を示すピンクテープは点々と続く 潅木に捉まりながらの西峰の下り

 頂上付近には踏み跡が見られ、西峰へ向うものと考えたが、登山道のある山での踏み跡は別の目的であることが多いので気をつけなければならない。頂上からは背の高い笹薮の本格的な藪漕ぎである。緩やかな斜面を一度下って、少し登ると行き止まりである。よく見ると真っ白くガスのかかった前方に薄らと暗い部分があり、予測通り西峰の鋭角的な姿を確認する。瞬間、ガスの切れ間から西峰が姿を現し、細く痩せたコルも確認する。ルート上には背の低い潅木が密生していて、手がかりはしっかりしているようである。潅木を掴みながら急斜面を登りきると、這松と潅木に覆われた1002m?の雄鉾岳頂上に到着となる。帰りは往路を忠実に戻ることになるが、平行するように沢形があり、登山道からこの沢形を探せばもっと楽に西峰へ行けるかもしれない。

西峰は1/25000地形図にコンタでしか示されていないし、崖記号も曖昧に記されているため、地形図を見る限りでは999.3mの三角点が頂上に見える。今回、EIZI@名寄さんの持ってきたGPSで測定したところ、西峰が本峰よりも約3m高く、帰路再び本峰で測ったが同じ結果であった。何メートルどちらが高いかは別にして、ノッペリした本峰よりも、枝に捉まりながら急斜面を登り詰める西峰頂上の方が、険しい雄鉾岳の頂上としては相応しい気がする。

【八雲鉱山】

おぼこ山の家は居心地の良い、道内では屈指の山小屋である。八雲ワンダーフォーゲルの尽力により立派に維持管理されている。今回も同メンバーの馬場さんが、温かく我々を迎えてくれた。この山小屋は八雲鉱山時代に郵便局として利用されていた建物である。付近には小中学校があり、30年ほど前は鉱山の町として大いに栄えていたそうであるが、当時を偲ばせる形跡としてはおぼこ山の家の古い郵便ポストくらいである。馬場さんが見せてくれた、小学校閉校30周年記念誌や産出されたマンガン鉱からは当時の栄えていた様子やそこに生活していた人々の姿が容易に想像される。古平町の稲倉石鉱山でも感じたが、時代の変遷とは言え1つの街が完全に自然回帰してしまった姿は儚いもので、一抹の寂しさを感じさせられる。 (2003.10.19)

同行して頂いたEIZI@名寄さんのページヘ

【参考コースタイム】 登山口 7:30 → 雄鉾岳頂上 10:15 → 西峰頂上 10:50  、 〃 発 11:10 → 雄鉾岳頂上 11:40 → 登山口 14:10 

メンバーsaijyo、チロロ2、nakayama、EIZI@名寄さん

<最初へ戻る