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 二観別岳(1005.7m)二観別(1009m)

二観別岳は晩秋と初冬の境目

1/25000地形図  「袴腰山」 

二観別岳から望む袴腰岳
二観別岳頂上の三等三角点「奴多布」
豊似岳は終始貫禄ある姿を見せる
土井博詞氏作製「日高山脈山系詳図」(抜粋)
林道終点の359m二股は広場となっている
林道終点付近から望む本二観別岳
特徴的なオキシマップ山
登り詰めた779m標高点から見ると既に初冬の感じである

二観別岳の名を地形図上に見ることはできないが、立派に日高の主稜線上の一山であることは間違いない。山仲間である八谷氏からのメールによると、山名の出典は中札内村ピョウタン園地の日高山岳センターに掲示してある土井博詞氏作製「日高山脈山系詳図」からとのこと。語源である「ニカンベツ」とは、中標津・すがわら氏(アイヌ地名考掲示板)の解説では「おひょうの木(ハルニレ)がある川の事で、毎年この付近でこの木の皮を少しずつ剥ぎ取り、木が枯れないよう翌年は位置を少しずらして採取し、一度に木を丸裸にしないように採っていった」となっている。何となくその様子が目に映るようである。さらに木の皮の利用法について網走・伊藤氏から「衣料用織物の原料で、川や池で10日ほど、温泉だったら3、4日漬けて柔らかくしてから繊維を取り出す。それを機織りの機械にかけてアツシという上等な布に織り上げる。他には薬用にも利用」との解答を頂いた。アイヌの人たちにとってハルニレの皮は、生活の中の重要な必需品であり、それが地名となって残っても決して不思議ではないようである。

以前の日高山脈は南の楽古岳から北の芽室岳までが全山との認識が体勢を占める時代があった。そうであれば、この二観別岳は日高山脈とはならない。最近の「全山」とは広尾岳から日勝峠を指すとの見解もあるようで、多様化の時代、登山界の視野も大きく広がったようである。今や難しい山やルートを至上のものと考えるアルピニズムは一部のものとなりつつある。昨今の健康志向と相まって多くの人達が山へ向かう現在、里山でさえも登山の対象となる時代となったが、むしろ情報が少ない分、こちらの方が新鮮である。そういう意味では、この山は登り尽くされた日高にあってはかなり新鮮な山といえそうだ。

アプローチとなる仁寒別林道は険しい地形にもかかわらず護岸がしっかりとしていて、よく整備されている。沿道には背丈の低いミヤコザサが多く、まるで芝生を敷いたかのような光景を作り出している。途中、オジロワシの華麗な姿を見る。生息数が少ないと聞いていただけに全く意外であった。三羽が群れていたところを見ると、付近に営巣している可能性も考えられる。いずれにせよ、流域は餌となる資源も豊富ということであろう。 三年前に登った袴腰岳の取付きをすぎて、さらに数キロ進んで行くと土場となって広々とした359m二股となる。キャンプ地としては打って付けの感じで、流木も豊富に散らばっている。予定の左股は橋が落ちてしまったようで、車は入れない。尾根末端からそのまま取付くことも考えるが、少々傾斜があるため、尾根への取付きとなりうる集材路を探しながら荒れ気味の林道跡を進む。明瞭な林道跡がある以上、必ずそれに続く集材路跡もあるはずである。それを利用して登れるところまで登り、あとは山域特有の背の低い藪への突入と決める。

適当と思われる地点で集材路跡に入るが、直ぐに途切れてしまう。藪は比較的薄く、急斜面ではみるみる標高を稼いで行く。背後の尾根線の奥には雪雲に霞む袴腰岳の整った姿が望まれる。そうこうしているうちにこちらにも雪がちらつき出し、夕方の薄暗さとなって、しまいには目指す二観別岳頂上をもガスが覆ってしまう。この時期の天候は目まぐるしく変わるであろうから、そのうちきっと晴れてくるだろうとの期待を持って、小雪が舞う急斜面を一歩一歩登って行く。藪の少ない斜面に「薮山派には少々物足りないだろうから、隣の比較的藪が混んでいるところにでも入ってみては」等の冗談まで飛び出すほどである。稜線に飛び出す頃には日中の明るさが戻り、日も射し始める。尾根上からはえりもの豊似岳が大きな姿を現すが、頂上はガスが掛かり望むことができない。代わりにオキシマップ山が鋭角的な美しい姿を現し、何とも印象的である。

標高が上がるにつれ、なぜか笹薮の背丈が増してくる。こんなはずではなかったと思いつつも、藪を漕ぐ以外に逃げることも隠れることもできない。ミヤコザサに代わって根曲がり竹の斜面へと植生は変化し、さらにはハイマツも姿を現すから堪ったものではない。山域の状況を知っていただけに、こんなはずでは…とのさらに不安な思いに駆られながらもハイマツを避け、濡れた笹薮を黙々とかき分ける。尾根筋は二観別岳の一つ西に位置するコンタ1005mのコブへ向かうが、先頭を行くOtaさんはハイマツだらけの尾根筋を避けて、二観別岳とのコルへのトラバースを決めたようである。根曲がり密生斜面のトラバースで威力を発揮するのはやはりスパイク底の靴である。この場合、フェルト底ではいたずらに標高を落とすだけで、登り返しにはさらに何倍もの労力を要する。コルにて国境稜線である。日高側は晩秋、十勝側は初冬と季節を明確に二分している。歩きやすいのは軽く雪が積もった初冬側で、意外に短時間で二観別岳頂上へ到着する。ここの三角点は浅く埋まっているのか、飛び出していたため、直ぐに見つかる。比較的展望はよく、まずまずとの印象である。予想よりも大幅に費やした時間に、本二観別岳は次の機会に…との思いが頭をもたげるが、次の機会はないのが世の常であり、ここは時間が許す限り前進するのみである。

1005mのコブは主稜線上もハイマツが行く手を塞ぐ。短いハイマツ漕ぎでピークへ上がると先ほど登った二観別岳以上の展望が広がる。豊似岳のガスは上がり、目の前には日高山脈最南端の山々が勢ぞろいとなる。このコブも含めて4つ目のピークが本二観別岳であり、距離にして約1kmの道程である。主稜線上にはハイマツが多く、十勝側の雪が被った藪に巻き気味にルートを取る。今回の一番の失敗は長靴に入り込む雪対策である。以前、薄っすら雪の被った日高町・銀嶺山の薮漕ぎで、長靴の上部から入り込んだ雪が靴の中で融けてぐしょぐしょになり、おまけに積雪の上を歩いたため、冷えて足の感覚がなくなった苦い記憶がある。この日も長靴の中に雪が入り込んでいるのを知っていながら、つい不精をしてしまい、雨具のズボンを履かずに進んでしまった。途中からは指先の感覚がなくなってしまうが濡らしてしまっては後の祭りである。厳冬期であれば凍傷となる危険性さえあり、スパッツ代わりとなる雨具のズボンの重要性を改めて感じさせられた。

太平洋を背景に袴腰山(本二観別岳頂上より) 本二観別岳頂上はすっきりとしていて展望は抜群だ

隠れていた三つ目のピークも巻き気味に進み、いよいよ最後の登りとなる。ハイマツ混じりの薮漕ぎはやはり日高の稜線そのものである。何時の頃からか、若い順の長い隊列となり、年齢による体力差を思い知らされる。頑張れば追いつくが、気を抜くと直ぐに離される。基礎体力の差といえよう。先頭を行くメンバーの頂上到着の歓声が聞こえる。途中から見た本二観別岳の頂上はかなりすっきりとしていたが、予測通りのようだ。晴れわたった青空が広がる中、頂上に到着する。正に360°、遮るもの一つない素晴らしい光景が広がっている。南北に延々と続く山並みと東西には太平洋が広がり、豊似岳は観音岳とオキシマップ岳を従え、風格ある姿を見せる。北にはアポイ岳を中心とする山群、直ぐ横には袴腰岳と天狗岳が傾きかけた日差しで輝く太平洋を背景に聳えている。晩秋の晴天に恵まれた一時、しばし南日高の雄大な眺望を堪能する。

下りは本二観別岳から薮漕ぎで林道終点を直接目指す。途中、薮が全くない庭園のような場所で一息付くが、概ね根曲がり竹が密生した急斜面である。トラバース気味に進んでいたルートを斜面に逆らわず、沢へ向かって真っ直ぐ下るように変更するが、編んだような根曲がり竹は全体重を掛けたところでどうにもならず、手作業で解くしかないようである。最後は沢へ飛び出し、我慢の薮下りは終了する。ニカンベツ川上流部は冬枯れした様相で、萌黄色に変色した川床の苔が日本庭園のような閑寂な趣を作り出している。この光景を見ているだけでも仁寒別林道を走ってきた値はありそうだ。

道内にある山の数は限られるが、以前に名が付いていた山、あるいは地元のみで山名が通じている山、何れかに山名の出典がある山、さらには点名がある山など、これらを合わせると我々が登れそうな山の数は相当数になりそうである。その中には今回の本二観別岳のような素晴らしい山もあり、そんな山を見つけ出すことこそが正に薮山登山の醍醐味と言えそうだ。 (2006.11.19)

■同行して頂いたmarboさんのblog

【参考コースタイム】 ニカンベツ川359m二股P 8:45 → 779m標高点 9:00 → 二観別岳頂上 11:05 、〃発 11:25 → 本二観別岳頂上 12:30 、〃発 12:50 → ニカンベツ川359m二股P 15:00

  【メンバーhachiya夫妻、Ootaさん、saijyoチロロ2、チロロ3(旧姓;naga)

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