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      記念別山(422.6m)

 

1/25000地形図 下」

林道へと向かう車窓から中記念別山を探すが見つからず…
林道の途中に車を置く
小沢の出合までは林道歩き
出合に到着、水はちょろちょろ程度

 「記念別」どこからどう見ても和製のアイヌ語である。○○別は北海道に数多く見られる地名で、ペツとは川のこと。何かを記念し、北海道らしさも加味して、このような地名をわざわざ作ったのかと思った。特に付近は、以前は留萌炭田で賑わったところ、過疎地となった現在ではこの名前そのものが産業遺産かとも思ったが、そうではないらしい。以前の当サイトへの書き込みの中で、アイヌ語に精通していた中標津・すがわらさんが「記念別…きねんべつ…ケネ・ペツ…ハンノキの多い川。やや、谷地、湿地の有る河原があったのでしょうか」と解説している。“キネン”に見慣れている単語“記念”を宛てたためにこのような和名のようなアイヌ語知名となってしまったようである。人があまり入りそうもないこの山域だが、中生代白亜紀(1億4000万年前〜6500万年前)には海底だったようで、その後隆起して現在のような姿になったとのこと。よって、山域全体が化石の宝庫となっており、その筋の人間には魅力溢れる地域となっているらしい。記念別には上記念別、中記念別、下記念別の三山があり、藪山愛好者の間では“記念別三山”と呼ばれている。今回はその中でも一番奥深そうな中記念別山から潰すことにした。

倒木に埋まった沢形 頂上台地上はすっかり藪
三等三角点「中記念別」と金麦
中記念別山頂上にて 三等三角点「中記念別」と金麦

  中記念別山へのアプローチだが、西側の中記念別沢川、東側の宿場の沢川と、二つのルートが考えられる。地形的には東側が厳しく林道の状況も何となく怪しい感じである。とりあえずは林道の様子をうかがいに東側から入ってみる。考え方としては地形の厳しさも然ることながら、林道の長さも要素として頭に入れておかなければならない。長い方はさらなる支線林道や作業道も多く、本線はしっかりとしていることが多い。一方、短い方はそれ自体が作業道クラスであることが多く、遠距離から訪れる場合には山行のルートが多少長くなっても前者を選ぶのが定石と言える。この日も宿場の沢川沿いの林道状況は最初から怪しく、すぐに中記念別沢川側へと変更する。

 中記念別川林道はしっかりとしており、難なく予定していた西面の直登沢の近くまで入ることが出来た。登山の対象としてのこの山域だが、どの山も400〜500mの標高で、登山道など無く、おそらくここの山々を目指す登山者は年単位で数年に1〜2パーティ程度と思われる。沢登りとなれば滝らしい滝もなく、いわゆるブタ沢(何の変化も無い沢を沢ヤの間ではこう呼ぶ)ばかりだ。こんな沢だが、入渓してすぐに前日のものと思われる足跡が続いていたのには えっ!と思った。前述の化石採取を目当てとする入山者だろう。出合からの水の流れはちょろちょろ程度、沢の遡行や登頂が目的でないことだけは確かである。

  西側からのアプローチは読図が難しいと最初から読んでいた。と言うのは、コンタでは表現できないような10m以下の微妙な地形ばかりとなっているからだ。出発前の打ち合わせでは最初の二股は右、次の二股は左と決めていた。ところが、二つ目の二股に到着してみると左側の沢は方向がまるで違うようで、水量も怪しい。右は流木が詰まって汚い感じではあるが沢形はしっかりとしている。左は地形図上に現れぬ程度の地形と判断、流木の詰まった箇所は高巻いて右股の流芯へと戻る。ところが、進んで行くうちに右へ右へと方向が変わってきた。残念だが間違えたようだ。やはり当初の予定通り、二つ目は左が正解だったようだ。右岸から藪に突入、藪を漕いで左股へと戻ることにする。地形的には扇のように広がって行くこともあって、辿り着いた最初の沢が予定のルートとは限らない。飛び出した地点のすぐ下流側にも二股があり、そこまで引き返してからさらに左へと入ることにする。しかし、やはり右へと引っ張られているような感じからは脱却できない。途中から水は枯れ、藪漕ぎとなってもさらに左へと向かう。かなり左を意識したが、結局飛び出した地点は頂上台地の南側で、目指していた北側のコルからは大きく逸れてしまった格好だ。もっとも、藪漕ぎともなれば何処に飛び出したって同じこと、予定していたルートとは正反対となるが、そのまま頂上を目指すことにする。

頂上直下の雪崩斜面で、初めてスッキリとした眺望があった

  予想よりは根曲がり竹は少なく、薄い藪であったことはラッキーだった。藪を漕ぐこと約300m、中記念別山頂上に到着する。三等三角点「中記念別」は藪の中に埋まっており、周りの展望は殆ど無い。少し北側へ移動すると少し視界が開け、三頭山や小平蘂山などの山影を望むことができる。だが、細かくそれを確認しようという気にもなれなかった。北側のピークがこちらよりも高いのではないか? との話題となったが、生えている樹木がこちらよりも大きいのでそう見えるだけとの結論で納まる。我々のパーティには拘りを持つメンバーが多く、完全登頂でなければ納まりがつかない。仮にいくらか向こうが高くても、この暑さの中ではこれ以上進もうなどという気にもなれず、ほっとしたと言うのが私の本音である。

  下りは登りでの間違え箇所の確認もあり、頂上から真っ直ぐに下ることにする。直下からしばらくは雪崩斜面、笹があるうちは良いが、草付きとなったところでは足もとが少々心許ない。途中、視界が開けると達布山や下記念別山が確認できる。雪崩斜面が終わると今度は一転平らとなり、湿地のような感じとなる。もちろんハンノキもあり、正にケネ・ペツが意味する光景そのままだ。ここが発祥の地という訳ではないが、同様の光景がこの地域には数多く存在していたということだろう。極力尾根筋を外さぬよう下るが、小尾根のために尾根筋が小沢へと消える。その度ごと別の尾根筋へと移り、最後は逃げられずに沢筋へ。直ぐに二股となり、飛び出した場所は倒木が詰まった二つ目の二股からすぐの地点だった。登りでは全く気にもしなかった小さな沢形からの合流である。

 下山後は下記念別山を予定していた。小さな山々なので1日二山は可能だろうとの読みからである。時間的にはまだまだ余裕はあるが、予想以上に難儀したことや暑さもあって、下記念別山はこの次とした。地形図上では小山の部類にはなるが、なかなかどうして、この手の山は一山一山が手強い。もっとも、急いで登ったところでその必要性もない。記念別三山の残る二山、出来ればその山行はゆっくり味わってみたいものである。(2013.6.30)

 【参考コースタイム】 記念別沢川林道 715 直登沢出合 7:45 中記念別山頂上 10:00 、〃発 10:30 直登沢出合 11:50 記念別沢川林道 1220   (上り2時間45分、下り1時間50分)

  【メンバー】Ko玉氏、キンチャヤマイグチさん、saijyo、チロロ2

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