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   武佐岳(チセネシリ)(1005.2m)

  
チセネシリ(家の山)と呼ばれていた武佐岳

    1/25000地形図「武佐岳」「武 佐」

除雪終点に車を停める
登山口に設置されたトイレ・・・冬は裏から入る

  昨年の6月に亡くなった私の山仲間である中標津・すがわらさんのところへ行ってきた。すがわらさんといえばイメージする山はやはり武佐岳である。道東の自然を愛してやまなかった彼の思い入れの一山だ。著書である「北海道紀行・東部編…見る・歩く・登る」の中でも登山道、沢、山スキーと四季を通じてこの山に親しんでいた様子がうかがえる。アイヌ語を中心とした言語学に専心していたすがわらさんによれば、その時代々で山名が変ることは珍しくはなく、武佐地区が全盛だった当時、武佐の街中からは一際目立つ山であったために今の山名になったとのことである。この山の本来の山名はチセネシリ(家の山/松浦武四郎「知床日誌」)が正しく、数百年もの間そう呼ばれていて、この山名に戻すことがこの地域の歴史を考えても相応と著書の中では紹介している。ともあれ、この山の端正な山容は標津山地随一であり、地元中標津町の誇る名山であることに変りはない。

856m標高点からは野付半島が真正面に見える

以前にこの山の冬期登山について調べたところアイゼン・ピッケルは必携とのことであった。道東の雪の少なさや北西風の影響を受けやすい位置的な要因を考えたが、登山道のある尾根は西面側で、この山について語られる時は登山道ルート中心であることに気づいた。すがわらさんは東側の長い尾根から積雪期に頂上を踏んでいるが、記録では4時間30分、我々の足ではさらに掛かりそうだ。そこで、もう少し短いルートとして、登山口から続いているイロサキベツ林道を終点まで行き、そこから856m標高点へと続く派生尾根を使えば北西風の影響も少なく、頂上までフルにスキーが使えるのではと考えた。

この時期は登山口までの除雪はなく、普通車で入れるのは最終人家を過ぎた辺りくらいまでである。札幌からは約9時間かかってここにたどり着いた。辺りはスノーモビルの走行跡だらけで、この山の周辺も彼らの遊び場となっているようだ。多くの走行跡の中にスノーシューのトレースも遠慮がちに1本見られた。この時期の登山者もいるにはいるようだ。このトレースは登山口からは登山道のあるシュキップベツ林道へと向かっている。トレースの主もやはり登山道をたどったのだろう。我々の向かうイロサキベツ林道へはモビルの走行跡が続いていた。走っている時は騒音を撒き散らす不快なモビルだが、走行跡はしっかりと踏み固まっていて歩きやすい。何たって、ラッセルをしなくてもよいのは助かる。ところが、平坦な林道歩きは足の当る場所がちょっと違うのか、同行したチロロ2さんが靴擦れしかけているとのこと。終点まではまだありそうなので、手前の南東尾根正面から取付くことに予定を変更する。このルートは途中500〜700m付近が急斜面となっているので、嫌らしいようであれば少し傾斜が緩くなる東側に回り込めば何とかなるだろう。

末端の急斜面に取付き、ひと登りすると尾根は緩やかになる。植林されたトドマツ林の中に樹齢何百年かと思われる見事なダケカンバの巨木が残されていた。残したというよりは、木材としては役立たなかったので切り倒さなかったというのが正解かもしれない。薄暗いこの針葉林を抜けると、両側の斜面は植林地と思われるトドマツ林で、中央は広葉樹の疎林帯となっている広い尾根上となる。澄み渡る青空と真っ白な雪面、そして深い針葉樹林帯、冬の道東ならではの景観は道内にあっても特別である。517m標高点のあるコブの手前で集材路が一本横切っている。ひょっとしたらこのコブを巻くように続いているのではと、そのまま集材路をたどることにしたが見事に予想的中であった。

イロサキベツ林道から見る武佐岳
林道にはスノーモビルの走行跡が続く
ダケカンバの巨木が突然現われる

コルへ回り込むといよいよ山行中最大の登りとなる。地形図通りの急斜面だが、雪の付き方から考察しても雪崩れる可能性はなさそうだ。判断材料の1つとして斜面の樹木の大きさを見るというのがあるが、この斜面で考えれば木々は十分に大きく、いわゆる雪崩斜面とは違うようだ。もちろん、この地方の積雪量の少なさが影響しているのかもしれない。大きく2度ほどジグをきった時点で、早くも先ほどのコブが回りの斜面と同化して見えるほどの標高差となる。さすがにここの登りは半端ではない。何回かキックターンを繰り返しているうちに根釧台地の平原が大きく広がる。それこそ地球が丸く見えると表現されるように地平線が弧を描いて見える。さらに繰り返すうちに少しずつ傾斜が緩くなる。気が付くと真っ白に結氷している野付湾付近や海峡を隔てて国後島の白い山々も見える。先日、漁船への銃撃事件があった島の北側は既に流氷に覆われて白い平原となっている。

頂上の大岩と早々と下山開始のチロロ2さん 中央に尖峰(手前)と海別岳(後方)
頂上から望む斜里岳(右)と俣落岳(左) 野付水道を隔てて国後島も

かなり緩い尾根上となり、そのまま登り詰めた先が当初予定していた枝尾根との合流点である856m標高点だ。ここまで、雪はしっかりと付いていてスキーでも何ら問題はない。尾根筋の左側はさすがに雪が飛ばされてクラスト面も現れるが、少し右側へ入れば十分な積雪量である。後は頂上への登りを残すのみ、こんな時は何度経験していても潜在的に逸る気持が抑えきれないのか、距離のわりには疲れを感じるものだ。940m付近ですがわらさんの著書に出てくる大岩を通過、右側の雪面をジグザグに登っているうちに前方に頂上を示す大岩が見えてきた。気が付くとその手前で斜めに傾いた三角点を通過、約20年ぶりの頂上に到着する。大岩には頂上を示す標識が二つ、さすがにメジャーな山といった感じである。何度となくWeb上で見た頂上風景だが、写真では表現できない空間の広がりや高度感は目的達成の喜びと相俟って、やはり自分だけの特別なものに感じる。知床・遠音別岳の天を突く鋭鋒が何とも印象的だ。また、海別岳やその手前の尖峰と少しだけ見える842mピークなど、それぞれに思い出深い山々が広がっている。中でも忘れてならないのが、すがわらさんが病床に臥すひと月前に登ったペンケニワナイ川と東斜里岳で、この時はこれが一緒に登る最後の山行となることなど頭の隅にもなかった。今はその山も真っ白な迫力ある姿となっている。

頂上でシールを外す。さあ、下降である。チロロ2さんはスキーを持って865m標高点まで下るとのこと。狭い潅木だらけの尾根は滑り辛く、856m標高点への到着時間に大差はなかった。大斜面の下り口までは快適にスキーを走らす。登りの辛さや疲労感などは、滑りの爽快感のためか、頭の隅から完全に消去されてしまうものである。急斜面は斜滑降を繰り返しながら慎重に高度を下げる。とはいえ、スキーはやはり速い。林道も含め、登りの半分足らずの時間で下山となる

 すがわらさんとはこのホームページを通して知合った。掲示板を見て、投稿しても良いのか躊躇していたと後日語っていた。もっともっと早くから山をやっていれば良かったとも言っていた。全てが昨日のようである。離れていることもあって一緒に山に登る機会は少なかったが、将来的に自分が退職して時間が出来たときには彼の得意分野であるアイヌ語やオホーツク文化圏のこと、道東の独自性についてなど、その面白さをじっくり教えてもらおうと楽しみにしていた。人間の運命というのは分からないものだとつくづく感じる。今のメンバーとの山行だって永遠に続くものではないし、自分自身を考えてもいずれ最後の山行となる日は必ず訪れる。一つ一つの山行が今を生きている証であり、山に登れる幸せはどの山行の時でも大いに謳歌すべきであると改めて感じる。道東の自然をこよなく愛したすがわらさん、きっと今もその大自然の中を自由に駆け巡っていることだろう。(2010.2.14)

【参考コースタイム】除雪終点 P 8:00 武佐岳登山口 8:40 南東尾根取付 9:40 865m標高点 11:20 武佐岳頂上 11:55 、〃発 12:20 865m標高点 12:35 南東尾根取付 13:25 武佐岳登山口 13:50 除雪終点 P 14:00    (登り3時間55分、下り1時間40分)

メンバーsaijyoチロロ2

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