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      観音(923m)

観音岳は豊似湖へ向かう路上からは美しい姿で望まれる

/25000地形図 「庶野・日高目黒」

豊似湖は神秘的な美しい湖である

藪漕ぎを終えると頂上は近い

.488m標高点付近は旧沙留山道跡である

観音岳は襟裳岬方向から見ると、豊似岳からの尾根上のコブに過ぎないが、秘沼と言われる豊似湖からは大きく立派な姿を見せてくれる。特に豊似湖へ向う途中の路上からは標高が1000mにも満たない山であるにも関わらず、日高山脈特有の鋭角的な姿で迎えてくれる。古い地形図上では豊似岳と観音岳の表記が逆であったという話を耳にした。改訂の際に間違えたのかもしれないが、この山域になぜ“観音”の名が付いた山があるのか、命名の経緯については不明である。一方、豊似湖は周囲わずか約1kmのハート形の小さな湖であるが、非火山性の日高山脈にあっては珍しい自然湖だそうである。山と湖の組合せは実に美しい風景を作り出す。付近には鬱蒼とした森林が広がり、木々の緑に囲まれる春から秋にかけては豊かな自然を楽しむことが出来るであろう。

観音岳頂上は展望が良い 豊似岳までは藪も薄く、日帰りも出来そうだ
頂上からは襟裳岬が望まれる 東尾根の下りは藪も薄く歩きやすい

 駐車場スペースから歩道を200mも歩くと豊似湖畔である。この周辺はエゾシカがかなり生息しているようであるが、鳥獣保護区域となっていて、ハンターに対しての警戒が全く必要ないのは何よりである。湖畔から右手の尾根に取り付く。下草の枯れた緩く広い斜面は歩きやすい。徐々に傾斜が増し、コンタ500m付近までは左手に豊似湖を眺めながらぐんぐん登って行く。コンタ520m付近から尾根は急に細くなるが、再び斜面は緩くなる。我々の進行方向の少し離れたところでガサガサ音がするので何気なく見てみると、一頭のエゾシカが笹薮をかき分け尾根上を一目散に逃げているところである。我々は登山道のない山ばかり登っているため日常的にエゾシカと遭遇しているが、彼らにとっての見慣れた人間とは、自分達の命を奪いに来るハンターくらいかもしれない。

 コンタ650mからは急斜面の根曲がり竹の藪漕ぎとなる。今シーズンは毎週のように藪漕ぎをやってきたが、他との比較で考えて、太さや密度は中程度くらいである。ただし標高差は約300mあり、それなりに体力を要する。この一帯は枯れて途中で折れた竹が多く、それが手足に当り、後で見てみると傷跡となっていた。斜面を登り詰めると笹薮が急に消えて北尾根に飛び出す。ここから頂上はわずかである。狭い頂上には視界を遮るものがなく、三角点こそないが抜群の展望は実に頂上らしい。他の山では三角点だけは何とか確認したが、何の展望もなく、山の形すら見ることも出来ずに帰ってくることも多いので、ここの展望の良さには “当りクジ”を引き当てた時の満足感を感じる。山域の最高地点である豊似岳へ続く尾根筋も藪が薄く歩きやすそうである。日が長ければ豊似岳までの日帰りピストンも十分可能であろう。

 頂上から.488m標高点付近に、集材路?と思われる“道”が見えるため、予定を変更し東へ向う尾根を降りることにする。往路の詰めで通過した北尾根同様、藪も低く歩きやすい。この山では顕著な尾根上ほど藪も薄いような気がする。海に近いため、風の強さが影響しているのかもしれない。このルートは三方向に海が広がり水平線が丸く見える。コンタ830m690m分岐は視界がない時には要注意である。コンタ690m付近からは明瞭な踏み跡が続くが、途中何ヶ所か藪に消されてしまう。コンタ690m付近の平坦地には囲いが壊れて野ざらしになった「奥山半僧坊大権現」の石仏と宝剣があり驚かされる。この踏み跡は登山目的のものではなく、信仰のためのものなのかもしれない。.488m標高点にも2つの小さな石のお堂があるが、この一帯では「白竜神」信仰と山岳信仰が合わさって行われてきたようである。お堂の前は広場のようになっていて歩道や踏み跡が4方向に続いている。後で判ったことだが、ここは江戸時代に幕府普請役・最上徳内が開削した沙留(さるる)山道の名残であり、当時の遺構も残っているとのことであるが、知らなかったとはいえ確認出来なかったことは残念である。原始的な自然の中にも遠い歴史が見え隠れする、何とも不思議な山旅であった。

下山途中に忽然と現れた奥山半僧坊大権現像

 

奥山半僧坊大権現

  奥山半僧坊大権現とは、南北朝時代に方廣寺(静岡県)を開山した無文元選禅師が中国各地を巡拝して帰国する際、海上で難破の危機に遭遇し、半僧坊の力によって海難を免れたという故事に因んで厄除け、商売繁盛などの御利益がある神とされている。観世音菩薩が半僧坊大権現に化身してこの世に現れたとも言われている。以前の庶野〜広尾間は陸海路とも通行の難所であった。この像が沙留山道や黄金道路沖を容易に見渡すことが出来るこの位置に祀られていることを考える時、当時の人々が通行の安全や水難除けを祈ってこの場所を選んだと考えるのが自然である。観音岳の名も当時の人々のこういった思いの表れだったに違いない。黄金道路が開通し、簡単にこの難所を通過することが可能となった現在、この像の風化と共に人々の心からも当時の思いや苦労が忘れ去られてしまうことだろう。 (2003.11.23)  

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【参考コースタイム】 豊似湖P 6:45 → 豊似湖 6:50 → コンタ520m 9:05 → 観音岳頂上 10:45、〃発 11:50 → 奥山半僧坊大権現像(コンタ690m) 12:40 → .488m標高点 → 豊似湖 14:05 → 豊似湖P 14:15

メンバーsaijyoチロロ2、チロロ3(旧姓naga)、EIZI@名寄さん

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