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      カムイヌプリ(750.1m)

1/25000地形図鷲別岳」

先週に引き続き、今週もカムイの名が付く登別・カムイヌプリを目指す。室蘭岳の東側に位置し、室蘭岳と共に一つの山塊を形成している山で、同山との間には縦走路も開かれ、日帰りで縦走されることが多いようだ。私は一度もこの山を訪れたことがなく、初めての山はやはり魅力的で、どんな山なのか期待は大きく膨らむ。登山道がしっかりとしているとの情報で緊張感に欠けた訳ではないが、デジカメを忘れてしまい写真は1枚もない。この山は室蘭へ向かう車窓からはすっきりと望むことができ、機会があれば後日、山の姿だけでもこの山行記に貼り付けたいと思っている。

幌別市街の奥にある室蘭工業貯水池の横から林道へ入ると登山口となるが、車高の低い車では底をこすってしまいそうだ。しかたなく、途中の路側帯に車を置き、登山口まではてくてくと歩くことにする。車が十台ほど止まった広場に入山ポストがあり、そこから登山道の開始となる。入口には古くなったストックが置かれているが、自由にお使い下さいということだろう。登山道はかなり細かなところまで整備されており、踏み込まれた登山道はかなり歩きやすい。地元の登別山岳会の尽力によるもので、地元の山を大事にしたいという思いが、登山者への心遣い、歩道の整備状況など、いろいろなところから伝わってくる。

針葉樹林帯の静かな山道は気持よく、徐々に標高を上げて行く。札幌を出勤時間帯に出てきたこともあり、時計はすでに11時を回っていて、登頂を終えて下山してくる多くの登山者とすれ違う。川を23度ほど渡渉するが、歩幅で石が並べられており、靴を濡らすことはない。しばらく歩いて行くと、突然山小屋が現れ驚かされるが、登別山岳会が20年ほど前に7年もの歳月と資金を費やして建てたそうである。コンパクトにまとまっていて、窓も大きく明るい感じの山小屋である。

小休止後、小学生グループとその引率の先生とすれ違うが、この日出会った登山者はこれが最後であった。登山道があるメジャーな山で、他の登山者がだれもいないといった状況は、名もない藪山へ入った時よりも、余計に寂しさを感じるものである。登山道は徐々に急になり、ロープが垂れ下がった岩場も現れる。単調な登山道にあっては大きな変化であり、なかなか面白い感じがする。そこを過ぎると、ぐんと一直線に登り、南側が大きく開けたかと思っていると意外にも頂上到着であった。地形図を見る限り、かなり手前の感じがするが、山域の最高点までは500m以上も離れており、高さにして3m程度の違いでは、ここを頂上とした方が良かったのかもしれない。倶多楽湖・外輪山から室蘭岳まで180度の展望が広がり、北側には大きな後方羊蹄山も姿を現している。とりあえずは最高点をとのことで、直ぐにこの頂上を後にする。室蘭岳への縦走路も綺麗に笹が刈られていて歩きやすい。三角点のあるコブを越え、次に現れるコブが最高点、つまり本当の頂上である。標識の類は一切なく、木々の間からは室蘭岳が見えるだけである。一見、ただの通過地点に過ぎないが、高度計は間違いなくこの日の最高地点を示していた。

【参考コースタイム】 林道路側帯P 10:25 → カムイヌプリ登山口 10:35 → 山小屋 11:05 → カムイヌプリ頂上 11:40  → 最高地点 11:55 → カムイヌプリ頂上 12:10、〃発 12:20 → カムイヌプリ登山口 12:50 林道路側帯P 13:05  (上り1時間30分、下り1時間) メンバーsaijyo

 

 母恋富士 (141m)

1/25000地形図室蘭東北部」

御前水から望む母恋富士 母恋富士 1/25000

 カムイヌプリを終え、靴も服装もそのままで、次の目的地・母恋富士へと向かう。もちろん100mそこそこの丘程度の山だが、少々の藪漕ぎを覚悟してのことである。以前は山裾に日本製鋼所の社宅が広がり、どこの社宅からも朝に夕にこの山が目に飛び込んで来たという。母恋、御前水地区に住む人たちにとっては生活に融け込んだ山であり、室蘭の名山と呼ぶに相応しい役割や時間の流れを感じさせてくれる。その後の産業の変革により、社宅は空き地へと変わり、街全体も元気がなくなった。麓の御前水中学は人口減少と少子化によって廃校となり、大きな校舎の窓々には無造作に板が打ち付けられていた。

 驚いたのは室蘭市の「ふるさとの森21」事業で、この母恋富士周辺が観光開発されていたことである。遊歩道が整備され、以前のように藪漕ぎで登る必要はなくなった。途中には休憩用のデッキや東屋も用意され、山全体が公園化しつつあるようだ。戦前は豊かな樹林が生い茂っていたというこの山、今後は植樹によって少しずつ以前の姿に復元されて行くようである。40数年ぶりの頂上には新しい頂上標識が立っていたが、室蘭の街を間近に望める眺望の良さは以前と少しも変わってはいなかった。(2007.10.7)

 

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