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イソサンヌプリ (581.3m)  

    

知駒岳から眺めるイソサンヌプリ山は朝日に輝いていた

/25000地形図 「イソサンヌプリ山」「松音知」「豊 神」

知駒峠Pに車を停める
峠から10分も登るとアンテナの林立した知駒岳となる

イソサンヌプリ山を主峰とする山塊は、分水嶺ということで考えれば北見山地に属するものと考えていたが、幌延町史では天塩山地となっている。神居古澤帯蛇紋岩などの天塩山地を構成している地層がここの山域にも分布しているなど、主に地質的な見地からの解釈のようである。特にこの一帯は層の主体を成す蛇紋岩類が知駒岳を中心に分布しているため、知駒岳山塊とも呼ばれているそうだ。イソサンヌプリ山は幌延町の最高地点で、その名の由来は「イソ」は狩の獲物、「サン」は山から海へ出る、「ヌプリ」は山で、獲物(クマ)の下る山とのこと。獲物を恵んでくれる山という意味で、昔は酒やイナウ(木幣)をあげて拝したであろう山とのことだ。ちなみに、この山は北海道本島では最北の500mを越えるピークで、主稜線上これより北は426mの幌尻山が山としてはわりと目立つ程度で、あとは宗谷丘陵へと標高を落している。そんな訳で、イソサンヌプリ山からの眺望は大いに期待でき、新年第一号の山行には打って付けと考えた。

敏音知岳や松音知岳は縦走中ずっと見える
敏音知岳や松音知岳は縦走中ずっと見える

知駒峠のパーキングに車を停めて、峠を後にする。エリモ岬〜宗谷岬の分水嶺完全踏まであと160〜170Kmと迫っているKo氏は、テレビ塔が林立する知駒岳を出発地点にしなければならないとのことで、フェンスに囲まれた同岳頂上をぐるりと半周、登頂の証拠写真を取ってから主稜線上をスタートする。目的地のイソサンヌプリ山は遥か遠くで朝日に輝き見事な山容を見せている。つい登高欲をそそられるが、いかんせん遠い。焦らず着実に近づいて行くより仕方がない。知駒峠の反対側にはペンケ山・パンケ山の特徴的な姿も望まれる。この山々も最初に見た時には最北の山といったイメージで眺めていたが、ここまで北上すれば南側にうねうねと広がる山々と一体化してしまう。今回は北緯45°線を通過する縦走であり、そのくらい北にやってきたということだろう。

知駒峠の次の478m小ピークは右側を巻いてコルへと抜ける。付近はトドマツやアカエゾマツの美しいタンネの森となっていて、いかにも北海道といった自然豊かな景観の広がりである。この付近では500mを越えれば高いピークということになり、ましてや山容自体にもあまり変化がなく全体的にはなだらかな地形となっている。視界の利かない時には枝尾根へと入ってしまいかねない。大きく迷うことはないだろうが、時間的なロスだけは避けたいところだ。次の458mピークは細長いので左を巻くことにするが、その次の501mピークは4方向から尾根が入り込むため、巻くにしても距離が長くなるし、回り込む加減も考えなくてはならない。50m程度の標高差であればラッセルして登った方が速い。

501mピークから東へ下る尾根上には471m標高点のある小ピークがあり、東面が崖となって落ち込んでいる。また、次に向かう436m標高点の西側にはコンタでしか表現されていない特徴的な小ピークがあるが、視界が利かない時などには惑わされそうだ。もしも、ガスっている時にこの小ピークが現われた場合、私も何となく針路を左に取ってしまうだろう。地形図上では目立たないが、実際の感覚としてはかなり目立つ存在である。一方、436m標高点は緩い斜面の途中地点とでも表現した方が適切で、地形図上の標高点は実際の行動の中では必ずしも目標物とはならないと考えた方が無難かもしれない。

タンネの森を進んで行く
振り返ればペンケ山やパンケ山は南の山並みの一部となっている
真新しい足跡は若グマのもの 一等三角点とのご対面(イソサンヌプリ山頂上にて)

縦走中、東側には朱文岳やポロヌプリを始めとする浜頓別や中頓別周辺の山々が何時も見えている。中でもポロヌプリはこの山塊の盟主といった実に堂々とした姿をのぞかせている。灰色のオホーツク海が背後に広がり、片や遠別〜天塩付近に林立する風力発電施設と日本海も望まれる。東西を分ける分水嶺からの遠望もいよいよ最北端に向かって狭まり始めたのかと感じさせる情景だ。目指すイソサンヌプリ山も少しずつではあるが大きくなってきた。

いよいよイソサンヌプリ山が近づく
出発地点の知駒岳は遥か遠くに見える

453mピークをひと登り、コルへの下りで北緯45°線の通過となる。コルは地形図上ではコンタがぐんと狭まり、つい細い尾根を想像させるが、実際は広い雪原といったイメージで、戸惑うと共に自分の地形図読みの甘さが見え隠れしてしまう。地形図はいつも片手にある状態にして、どんな時にも見比べる習慣を身に付けなければ、なかなか読図は上達してくれないようだ。ふと気が付くと大きな足跡が左の幌延側から右の中頓別側の源頭へと下っている。よく見れば飛び散った雪片もそのままで、我々の気配を感じて彼らの方から避けたようである。ヒグマの足跡としては小振りな感じで、おそらく春に生まれて最初の冬を向かえているのだろう。いずれにしても正月の時点で冬ごもり前であるから、まだまだ彼らの食物が残っているのか、慣れないために食べる時期を逸してしまったのかのどちらかである。獲物(クマ)の下る山と言われるイソサンヌプリ、人間の密度が極端に低いこの地域では今も昔もあまり状況は変わっていないようだ。

斜めに左上へと向かう広い尾根をひと登り、507m標高点までの広い高原状は澄んだ青空と針葉樹とのコントラストが美しい。507mからは最後のコルへとスキーを滑らす。視界がぐんと広がり、双耳峰となっている真っ白な丘状への登りとなる。積もった雪が風で飛ばされてしまったのか、笹が所々で頭をのぞかせている。緯度が高いので森林限界も500m足らずとかなり低く、この標高でも高山的な雰囲気を味わうことができるのが心地よい。541m標高点のある南峰の肩に飛び出すと頂上まではあと一息だ。私は斜面を巻くが、登頂への逸る気持が抑えられないKo玉氏は稜線を忠実に辿る。南峰への途中、目指すイソサンヌプリ・本峰が見えたと笑みを浮かべている。南峰を巻いてそのまま最短距離で本峰登頂を窺うKo玉氏だが、地形図を見ると残念ながら急傾斜となっている。結局は南峰ぎりぎりまで登ってからコルへと下ることにする。コルからは潅木の斜面となる。最後は大きく巻く私を尻目にKo玉氏は引き付けられるように真っ直ぐに進んで頂上に立つ。彼にとっては北海道縦断のほんの一部分に過ぎない区間のはずだが、どうやら年末からずっと思いを馳せ続けてきたが故の特別なイソサンヌプリ到着だったのだろう。

エゾユキウサギ(資料写真)

「たいせつにしよう三角点」の棒杭が、飛ばされた雪面から姿を現していたため、雪面をなでた程度で一等三角点「磯桟岳」が現われる。展望は抜群で、日本海やオホーツク海、稚内の丘陵も確認できる。その中で話題となったのがオホーツク海の向うに見える山影である。石狩の海岸からはどんなに目を凝らして見ても沿海州は見えない。そう考えると、まさかサハリンまではと思ったが、見えていたのは正にサハリンであった。考えてみればここまで来れば旭川よりもサハリンの方がずっと近い。見えて当然といえば当然であった。

  Ko玉氏の区間完踏を終え、後は予め停めておいた車を目指して南峰から西へと続く尾根を下る。寒気団の影響で雪質も上々、下手は下手なりに滑りは楽しい。山行中、ずっと見られた三角形の小動物の足跡。その主が現われたのは迷いながら進んだ牧場内での読図の最中であった。なんと今年の干支・エゾユキウサギである。慌てて逃げて行くほんの一瞬ではあったが、正月早々のことでもあり、今年の山行を占う上での幸先の良さが感じられる出来事だった。今年が収穫の年となる吉兆であると信じることにしよう。(2012.1.2)

参考コースタイ 知駒峠P 7:25 → イソサンヌプリ山頂上 10:45 、〃 発 11:15 上問寒・町営草地 13:35 ( 登り 3時間20分、下り 2時間20分  )

メンバー】 Ko玉氏、saijyo、チロロ2

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