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 智保内山(436.7m)・白頭山(487m)

   

智保内山を越えると見えてくる白頭山

1/25000地形図 「白頭山

白頭山への稜線から望む智保内山は平凡
Ikko車でなんとか駐車スペースを作る
林道から離れ、智保内山を目指す
まずは智保内山頂上に到着

 「白頭山」と言えば中国と北朝鮮の国境に位置する民族の聖地と崇められている名山だが、同名の山がここ北海道にも存在する。だが、Web上を探してみてもこの名山と焼肉店のみしかヒットせず、北海道の白頭山はOgino氏(道北ヤブ山日記)の山行記がわずかにひっかかる程度、この山の認知度はかなり低いようだ。なぜこのような山名の山が北海道にあるのか調べてみたが、残念ながらその解答は見つからなかった。判ったこととしては、一つはチエボツナイ川最奥の白頭沢の水源であるためにこのような山名になったこと、もう一つは太平洋戦争の戦時下においての労働力不足の時期に、この付近でも森林鉄道の敷設等で多数の朝鮮人労働者が強制労働を強いられていたことである。うがった見方をすれば母国の聖地を懐かしんで… といったことも考えられなくはないが、もう少し詳細に調べてみなければその正確なところは判らない。途中で踏んだ智保内山についてはチエボツナイ川の水源で、chep-ot-nai(魚・多くいる・川)の意味。この川はアイヌの人たちが食する魚が豊富だったらしい。その宛字がこのような漢字配列になったようだ。「チェポッナイ」は西蝦夷日誌(松浦武四郎)にも登場する。

 風速10mの朝、こんな地吹雪模様の朝にはとても山登りなど考えられない。苫前の道の駅「Wとままえ」でさえこんな様子、山の稜線歩きなどは考えただけでも億劫になる。だが、今日はKo玉氏の全山制覇に向けての大事な一山、とにかく現地へと向かわなければ収まりは着かないだろう。まるで積雪のなかった海岸線とは異なり、霧立峠へと向かって行くうちに雪景色へと変わる。西からの強風に備えて東側の熊の沢川からのルートも視野に入れていたが、意外や意外、風は全く気にはならないくらいの状態となる。Ko玉氏の思いが天に通じたのだろう。となれば、駐車スペースが確保しやすい西側の小川林道からがやはり良い。

痩せ尾根を白頭山に向けて (Ikkoさん提供) 遠かった白頭山頂上で一息 (Ikkoさん提供)
何を想うか…Ko玉氏 (白頭山頂上にて) 500m未満の山とは思えぬ大展望が広がる (白頭山頂上にて)

 林道を心地よい汗をかきながら進む。今日の足回りは今シーズン新調したばかりの150cmのウロコ板、今までのものよりはわずかに8cm短い程度だが、足元はスノーシューでも履いているように軽く感じられる。特に水平方向の抵抗が少ない分だけそう感じるのだろう。スタートから約1時間20分で智保内山への最短地点に到着、ここで林道を離れる。ところが、まだまだ不慣れなこの板、体重移動が下手なためか、ちょっとした傾斜でもスキーが止まらずに慌ててシールを貼り付ける始末。私としてはこの道具の習熟が今後の課題である。

 地形図とは裏腹で、地形図上には表現されていないアップダウンに翻弄されるが、概ね緩い斜面に順調に標高を上げる。実感としては登っている感じはないが、振り返ると大きく展望が広がっており、さすが標高の割には山域が広い道北の山といった感じである。山行中、Ko玉氏は当サイトの山行記の心配までしてくれて、こう書いたらいいよ、ああ書いたらいいよ〜 とアドバイスしてくることが多い。今日のアドバイスは北朝鮮の工作員… !? ありえない、ありえない、人間よりもヒグマの生息数が多いこの辺鄙な山域、わざわざ北朝鮮から工作員がやって来て、ヒグマを相手にこんな所でいったい何をするの? 心の中で返答するが、上機嫌のKo玉氏、いつもにも増して楽しげである。

  地図入りGPSの普及のためかリアルタイムで現在地が判る。この日もパーティ内に3〜4台、私ですらこれを持っているのだから時代は既に移り変わったということだろう。 私のGPSは電池切れで止まったまま、しかし他2台は起動状態、智保内山への距離は残りわずかのようである。見たところ山の頂上らしき高みは見えないが、こんな緩い斜面では行き着く先のどこかで自然と頂上到着になる。斜面を進んで行くとその先がなくなり、智保内山の頂上に到達したようだ。それでも一山ゲットに変わりはない。例によってKo玉氏のこだわりである証拠写真を2枚、直ぐにこの日の本命・白頭山へ向けてのスタートとなる。智保内山については白頭山への通過地点に過ぎないというのが率直なところだ。

白頭山への痩せ尾根は意外に時間を要する
白頭山への痩せ尾根は意外に時間を要する

 ここから様相は一変、痩せ尾根のアップダウンの開始である。まずは智保内山からの下り、思った以上に下って次のコンタ420mへと登る。実際の落差は10m〜20mくらいのものだが、スタートから既に約3時間が経過しており、帰路の登り返しの辛さもつい考えてしまう。次の20m超えの下りは心理的には少々きつい… と、細かく記述すれば限りがない。要は白頭山がまだまだ遠くに見えており、時折吹く強風が自分のネガティブな心をさらに増長させているのだろう。その後もアップダウンが続き、途中で枝尾根へと入り込む。ここはすぐに修正、次の433m標高点からの下りがかなり痩せた尾根の下降となる(実際は4〜5mくらいのもの) 無精者の私以外はスキーを外してツボで下る。こんな場合は面倒でもこの方が効率が良い。

帰路、途中から見る錐立山付近 雪雲が迫る (Ikkoさん提供)
日暮れて道遠し… (Ikkoさん提供)

 冬至が近づくこの時期はさすがに時間との勝負、痩せ尾根がこのまま続くようであれば、白頭山へは届かないかもしれない。どこかの時点での引き返し、そんなことも頭にちらつくが、その判断にはまだ早い。終始先頭を行くyabuさんは元気にラッセルを続け、ふと気が付くと稜線直下に続く古い集材路跡に入っているようだ。ひょっとして、これを利用して距離を稼げれば意外に短時間で頂上付近に到達するかもしれない。だが、カーブを曲がってみるとその先からは若干下り気味となる。さらに進んで様子をうかがっている余裕などはなく、すぐに戻ってから稜線上へと上がる。尾根上は意外に広く、稜線から左側は緩い疎林の雪面となっている。このままの状態が続くことを祈りつつ前進あるのみだ。

 最近なぜか人が変わったように温厚だったKo玉氏だが、獲物を目前としているためか、以前のピークハンターそのものの姿となっている。だが、それはよくイメージされる寡黙なスナイパーではなく、彼の前後とのスキーを踏んだ踏まないの小競り合い程度のもの。どこかKo玉チックな微妙な変化であり、長年付き合っていれば見ているだけでよく判る。彼が一番恐れているのは「止めよう」とメンバーから“勇気ある撤退”を促されること。「先頭3名によるラッセルのローテーション」や「着いたら直ぐに下山開始」といった彼がよくやる上から目線の指示も、メンバー説得への苦心の口実で、本心は「自分は夜になってもぜんぜん構わないから、なんとか止めようとだけは言わないでほしい」である。Ko玉氏の真の敵はメンバーにあり状態。だが、そのメンバー、私も含めてみんな御茶目なKo玉氏の夢の実現への協力を惜しまない。とりあえずは彼の人徳? ということにしておこう。

 彼の心配をよそに広い尾根は続き、距離を稼ぐにはうってつけ、頂上はものにしたと確信する。200、100、…ついに25m、遠かった白頭山の直下を通過、逆方向へと回り込み、小高くなった頂上を踏む。展望は東側が素晴らしく、とても500mにも満たない山とは思えない広がりとなっている。おそらく、上古丹別山や下古丹別山も見えてはいるのだろうが、どれも皆同じで、どこといって特徴はない。何となく羽幌岳らしき山は判る。あとは低山のうねりの中にあって、今一歩マニアの域には達していない私としてはお手上げである。私とチロロ2さんはとにかく頂上ビールをグビッと、Ko玉氏は何はともあれ証拠写真である。ところがKo玉氏愛用の数々の証拠写真が詰まったデジカメは電池切れ、用意周到な彼は換え電池も取り出すがそれもダメ… どうする?Ko玉さん! 結局、Ikkoさんから私が譲り受けたデジカメに貴重な証拠写真を納める。せっかちなKo玉氏、一連の儀式が終われば今度は直ぐに下山開始である。

 北側から下って回り込めば速いのではとIkkoさん。やはり積雪のあるこの時期であれば、新たなラッセルには時間を要すると思われる。特に林道ではトレースのあるなしでは大きな差がでてしまうだろう。このへんはスキーとスノーシューの違いかもしれない。逆算して約3時間、暗くはなるだろうが、そこが林道であればそれもOKである。途中、急かされて下った頂上の分も含めて何度かゆっくりと休憩するが、それでも車の止めている林道入口には予定通りの16時5分に到着。日没ぎりぎりだが、まずまずの登頂劇となった。(2013.12.01)

【参考コースタイム】 小川林道入口 P 8:10 →  智保内山頂上 10:40、〃 発 10:45 → 白頭山頂上 12:50、〃 発 13:05 → 智保内山頂上直下 1430 → 小川林道入口 P 16:05  (登り 4時間40分、下り 3時間)

メンバー】yabuさん、sakaku氏、ko玉氏、Ikkoさん、saijyo、チロロ2

白頭山東側の展望の広がり …どれがどの山かはさっぱり判らない

  

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