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      崖 山(541.4m)

  

岩知志から望む崖山(中央)

1/25000地形図「仁世宇「三 岩   

仁世宇川沿いの林道から入山する
ムシトリナデシコの中を進んで行く

平取町・岩知志の崖山は読んで字のごとく「崖」と表現されるように総じて急峻で、国道側からは一部崖も見られる。“小粒の山椒”を期待して現地入りするが、小さな里山であることに変わりなく、仮に地形図に山名がないとしたなら私もこの山へ登ることは無かったかもしれない。そのくらい特徴に乏しい山であった。国道側の山麓は放牧地となっていて、口蹄疫問題が世間を騒がせている昨今、さすがに真正面からは攻められず、少し遠回りとはなるが振内まで行って裏からのアプローチとする。崖山から西側にほぼ一直線状に伸びる尾根が今回のルートである。

仁世宇川二号橋付近の広場に車を停め、比較的水量の多い仁世宇川を渡渉、尾根末端へと向かう。河原にはこの時期よく見かける赤紫色のムシトリナデシコが群生していて、濃さを増してきた周りの緑とのコントラストが実に美しい。今年は例年になく6月から蒸し暑い日々が続いており、涼を求めて左側の沢筋から入ろうと考えるが、最初の小滝が少々微妙で結局は尾根から取付くことにする。この山域にはエゾシカが多いようで、密漁なのかどうかは判らないがエゾシカの解体跡が草むらのいたるところで見られた。増えすぎたエゾシカを駆除する目的での狩猟かもしれないが、後始末があまりにもだらしない。ハンター諸氏のモラルの低さを問われても仕方のないところである。

尾根上には取付きから登山道並みの踏み跡が続いている。狩猟によるものかシカ道なのかは判らないが、予想に反して籔漕ぎはほとんどない。少し上がって尾根が平らになると作業道跡が現われるが踏み跡はなおも続いている。作業道跡は右手の国道側へと大きく回り込むように続き、左方向へは枝道が二本入っている。ここは道路跡を利用してどこまで頂上に近づけるかが興味の焦点となり、そのまま幹線道をたどって大きく回り込むことにする。しかし、回り込んだ直ぐ先で崩壊地となっていて、作業道は跡形も無く消えていた。我々は崩れた斜面を慎重にトラバース、そのままコンタ460mポコと頂上部とのコルへと続く小沢を詰めることにする。小沢は短く、コル付近ですぐに新たな作業道跡へと飛び出した。下山時に判ったことだが、最初の作業道跡はどれもこの飛び出した作業道跡へは繋がっていなかった。

崩壊地を過ぎて小沢からコルを目指す 狭い崖山頂上に到着

作業道跡を再び離れてコルへと向かい、背の低い笹薮漕ぎをしばらく続ける。気が付くと我々が進んでいるところもやはり古い作業道跡であった。そう考えるとこの山は、ある一時期には大掛かりな伐採が行われ、現在は再び樹木を育てる長い長い期間に入っているようである。この山を訪れるのはシカ撃ち目的のハンターのみといったところだろう。狩猟が解禁となる11月以降のこの山への山行は要注意である。頂上へと向かう集材路跡をたどり、距離があと100mほどに縮まったところで突然終点となって消えてしまうが、シカ道のみは頂上へと続いていた。

樹林帯の中の頂上は狭くて三方向に尾根が張り出しており、いかにも頂上といった雰囲気である。ただし、肝心の眺望は今ひとつで、樹林の間から鋭峰・シキシャナイ岳が見える程度。岩内岳や宿弗山の姿もあるにはあるが、見えたからどうといった話ではない、これらの山々は山座同定の対象としては少々マニアック過ぎる感がある。眼下の樹林の間からは国道237号を通過する車両が小さく見えている。結局のところ期待していた頂上展望は、どこにでもある里山頂上の風景から脱し切れるほどのものではなかった。(2010.6.27)  

参考コースタイム】仁世宇二号橋 P 8:55 崖山頂上 10:25、〃 11:05 仁世宇二号橋 P 12:10 ( 登り 1時間30分、下り 1時間05分 )

メンバー】Ko玉氏、saijyo、チロロ2

       

   

  主岳(618.6m)

1/25000地形図「十三里

佐主岳(サヌシュダケ)は今回登るまでは漠然と知っている程度の山であった。3日前にこの山へ登ったという山の盟友であるKo玉氏が、この日我々のためにわざわざ用意してくれた貴重な一山だ。10年くらい前、厚真ダムへ立ち寄った折にこの山の登山口の看板を見た。立派な看板で、付近のキャンプ場のために登山道を切り開いて作ったハイキング用の山くらいに考えていた。しかし、今回実際に入ってみて、そのアプローチの奥深さには驚かされた。旧穂別町(現鵡川町)・キウスから厚真ダムへと抜けるペンケオビラルカ林道(普通林道・炭鉱厚真川線)から入る。Ko玉氏は3日前に樹海ロード側のキャンプ場から入ったそうだが、かなりの悪路だったようだ。そんな経緯もあって、こちらの林道を選んだとのこと。

林道横の駐車スペースに車を停める 炭鉱厚真川線から約3kmで登山口の標識が現われる
佐主岳頂上は背の低い笹に覆われている 頂上から望む坊主山(手前)とハッタオマナイ岳(奥)

割としっかりとした林道を走って行くと「ふれあいの小径(こみち)」の看板があり、なんだろう…?と思った。さらに進んで行くと、少々場違いなウッドチップを敷き詰めた展望台と駐車場が現われる。森林とふれあうことを目的とした施設のようだが、他の通行車両は全く見られない。おそらく出来上がった当時はそれなりの利用見込みがあったのであろうが、目算が外れ、この立派な展望台のみがとり残された形なのだろう。この少し進んだ先に佐主岳へと向かう作業道跡の入口があり、「登山口3km先」の看板も立っているが施錠されている。作業道跡は少々荒れ気味である。車高の高い車であれば難なく通過できるかもしれないが、普通の乗用車であればそれなりの覚悟がいる。いっそのこと、かなり手前に登山口を置いて、歩道のみを改めて整備した方が資金的にも効率が良いかもしれない。歩道も車道も共倒れ状態で、ただ朽ちるのを待っている現在の状況は登山愛好家の一人としては何とも寂しい感じがする。

途中、崖崩れのために作業道跡が斜めになった場所があり、車ではどんなに頑張ってもここ以上は進めない。崩壊地点を過ぎて少し歩くと、以前は登山口の駐車場となっていた広場となる。そのまま作業道跡をさらに進むと立派な看板のある登山口である。しばらくは集材路跡を利用した広い道が続くが、途中から斜面をトラバース気味に登る刈分け道となる。メンテナンスがなされていないのか、夏草が少々被り気味で心もとなさを感じる。尾根上へ上がってしまえば頂上付近まで刈り分けが真っ直ぐに続いている。頂上手前で一時登山道は消えるが、雰囲気的に頂上は判る。

佐主岳頂上は我々の基準で考えれば十分に開けた頂上であった。ただし、頂上標識が転がっていて(2004年のサトマサさんの記録ではしっかりと立っていた)、この山の荒れようが感じられる。最近はほとんど登山者がいないのかもしれない。登山者の心理として、いくら登山道があったとしても他の登山者がだれもいなければ心細さを感じるものである。荒れていればなおさらのこと。だれもいない登山道を歩いていて、なんとなく心細くなって中止、後続の登山者がいるのを見て再び登り直す登山者もいると聞く。そう考えた場合、この山への登山者が減ってしまった理由は十分に理解できる。やはり、地元の森林管理所や自治体はこのまま放ったらかしにすべきではないし、少しの整備でも十分に登山の対象としての佐主岳が復活する素地は十分にある。眺望はさすがに一等三角点の山で、坊主山や夕張岳、遠くに日高幌尻岳など、その位置関係を十分に理解できるだけの山々を望むことができた。行政の無駄を徹底的に削減する時代とはなったが、登山という健康社会の一翼を担うリクレェーション振興のためにも、ぜひこういった山は大事にしてほしいと願わずにはいられなかった。(2010.6.27)

参考コースタイム】登山口標識 15:10 佐主岳頂上 15:30 、〃 15:40 登山口標識 15:55  ( 登り 20分、下り 15分 )

メンバー】Ko玉氏、saijyo、チロロ2

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