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      江鳶(713.0m)

  

  

目立たない山容の江鳶山

/25000地形図 」「札 弦」

除雪終点に車を置く
江鳶山スカイラインとはこの江鳶奥林道のことである

入り江にトンビ、西洋画で言えば印象派のモチーフとなりそうな光景を想像させる名称であるが、アイヌ語の「エ・ト・ウン・ペッ」が語源であり、「頭が・山へ・入り込んでいる・川」の意味だそうである。これは江鳶川の河川名であり、それが現在の江鳶山の山名となったようである。網走・I氏の話によれば、そもそもこの山は「サ・ウン・ポン・ヌプリ」と呼ばれ、「浜側に・ある・小さい・山」との意味があったそうである。隣接する斜里岳があまりにも見事であり、相対的に見てコブに過ぎないこの山は「小さな山」と呼ばれていたのであろう。

しかし実際に登ってみると充分標高差があり、清里付近の平野やオホーツク海が広がる様は実に雄大で、正に眺望の山といえる。Web上を探ってみると江鳶スカイラインとか展望台とか観光化した名称が登場するが、スカイラインとは言っても単なる林道に過ぎない感じである。この山の素晴らしい眺望は単に見晴らしの良い林道と片付けてしまうには惜しかったのであろう。展望台は緑ダム側へ抜ける途中の峠に設けられているようで、年月と共に荒廃が進んでいるそうである。

今回は正月で帰省中の地元清里出身・Oota氏の提案で江鳶山を考えたが、名寄から急遽Ko玉氏が参加することになった。Ko玉氏には一山のみではもの足りないだろうという参加者全員の暗黙の合意で、江鳶山から東方約5.5kmの平岳(764m)へ向い、斜里岳への入口である江南地区の神社へ下る縦走ルートに計画を変更することにする。車一台は下山用に神社前に置いてくる。

通称“江鳶スカイライン”と言われている「江鳶奥林道」からのアプローチである。道路上には江鳶山登山口の標識が出ている。途中に農協が設けたシカ除け用の柵があり、ゲートに鍵はなく開放されているが、雪が積もったこの時期ではゲートが開かず、スキーを外してこれを越えなければならない。柵を過ぎると樹林に覆われた林道らしい林道となり、沢沿いに続いている。コンタ290m付近で林道を離れてそのまま沢沿いに登って行く。左岸沿いに徐々に標高を上げて行くとかなり密な針葉樹林帯となり、尾根上へ飛び出す。この不自然な樹木の混み具合は植林のためであろう。時々現れる集材路跡は長くは続かず、しかたがなくそのままうるさい樹林のなかを進むことにする。コンタ570mで平坦地となる。

頂上まではあと一息、背後には平野とオホーツク海が広がる 江鳶山頂上に到着したチロロ3・旧姓nagaさん

頂上へは標高差約100mの急斜面を登らなければならない。大きくジグをきって頂上直下まで上り詰める。けっこうな急斜面であり、雪崩る危険性も感じるが弱層はない。GPSを取り出すと20数m先に頂上がある。先頭切って頂上に立ったチロロ3(旧姓naga)が動けない。頂上は凄い強風のようであるが、下で見ている側としては無風に近く実感がつかめない。頂上に飛び出すと確かに時折吹く突風に飛ばされそうである。僅か20mでこんなにも状況が違ってくるものなのかとつくづく感じる。頂上での写真撮影は諦め、踏むだけとする。強風のためKo玉氏から平岳中止の提案があり、一同内心ホットする。強風地帯は頂上付近とあと数ヶ所程度と思われるが、確証があるわけではなく、下手したら吹きさらしのまま5.5kmを進むことになる可能性もある。その場合、うまく凍傷対策を考えなければ、酷いことになりそうだ。

  後は標高差100mの大斜面を滑降し、上り返しや密度の濃い樹林帯を避けて下るだけである。下りのルートファインディングは上手なルート探しで定評のあるKo玉氏の独壇場である。終始先頭を滑り、ピタリと出発地点に降り立ったのはさすがであった。目立たない山容の江鳶山ではあるが、ここもまた清里町のふるさとの一山であった。(2006.1.2)

【参考コースタイム】町道・除雪終点 P 8:50 → 鹿除けゲート 9:20 → 江鳶山頂上 11:50、頂上直下発 12:05 → 鹿除けゲート 12:55 → 町道・除雪終点 P 13:10

メンバー】Oota氏、ko玉氏、saijyo、チロロ2、チロロ3(旧姓naga)

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