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     (617.6m)・海向山(569.4m)

御崎町から見た恵山

 1/25000地形図「恵 山」

賽の河原には立派な駐車場がある
賽の河原に立つ仏像。独特の雰囲気を感じる
朝の火口

  札幌からは近いようでかなり遠く感じられる函館周辺の山々、その第一弾として選んだのは有名どころ「恵山」である。アイヌ語でエニシャヌプリ(岬)が転訛して恵山となったようだ。この山は春のツツジ、秋の紅葉、さらに変化に富んだ地形と、その植物博物館とも称される素晴らしさには定評があり、情報に疎い私でさえ知らず知らずのうちに頭に焼きついていた。恵山は古くから霊場としても全国的に知られているとのこと。700年もの昔にこの山に恵山権現の御堂が建てられ、古くから修業僧や崇敬者の訪れが絶えなかったと言われている。沢シーズンが終わったこの端境期、こんな時にこそ、ゆっくり歩けるハイキング程度の山が良い。「函館は遠い」と感じる潜在的な殻を打ち破り、いざ出陣である。

登って行く途中から見た恵山の火口

 森町の道の駅「YOU・遊・もり」で車中泊、なぜかsakag氏(一人歩きの北海道山紀行・管理人)の声に起される。よく聞けば、その会話の相手もsakag氏なのが奇妙である。ドアを開けてみると全然別の人が車外でこの日の仕事の打ち合わせをしていた。 そうだった、昨夜のうちに既に函館圏に入っていたんだ… ここで、はっきり目が覚めた。昨夜は仕事を終えてから札幌を出発、一人ということもあって正直眠かった。ここまで来れば恵山は目と鼻の先だと思っていた。しかし、ここからが思いの外遠いことを道路の案内板を見て知った。約70Km、札幌で言えば滝川付近までの距離である。途中、ローソンに朝食を仕入れに立ち寄ったが、ここにもsakag氏がいる。あまり踏み込むことがなかった函館圏のせいか、函館弁を聞くだけでもどこか他県にでも居るような新鮮さを感じる。山目的としては始めて訪れる土地、どこか遠くにでもやって来たかのような冒険心を掻き立てられた。

 下調べを全くせずにカーナビのみに頼ってやって来たこともあり、現地入りしてからも右往左往、それでも何とか登山口となっているパーキングには到着する。ここが賽の河原の中に設けられたパーキングと知るのは下山後である。ミリオンの地図くらいは持ってくるべきだった。風は強いが雨はない。こんな登山日和に他には誰もいないのが不思議なくらいである。とにかく、案内標識に従って進んで行く。素晴らしい紅葉への期待とは裏腹に、活火山ということもあって、殺伐とした光景が広がっている。下方には色褪せた古着が寒風になびく仏像が一列… 私の情感を今の若者言葉で表現すれば、正直なところキモイに尽きる。さすがに「賽の河原」と呼ばれているところ、霊気漂う空気が感じられるのは私の臆病風による産物だけではないだろう。後で調べたところによれば、一面の砂地に焼石が無数に散在し、仏像を囲むように岩石や小石が塔状に積み重なっていて、例えそれを壊しても翌日には元の形に戻っていると言い伝えられているらしい。そんな伝説から付けられた名のようである。海峡を隔てては下北半島・恐山と対峙しており、現在も参詣者は多いとのこと。

メルヘンチックな恵山岬付近を見下ろす 恵山頂上に到着

 登山道は噴煙の影響をできるだけ受けないよう、周り込むように続いている。それでも強風のためか、鼻を突くような硫黄臭が立ち込めている。火口側からぐるりと回りふと気が付くと、眼下には青い海と白い灯台、何ともメルヘンチックな一角で、恵山岬のみが小春日和といった感じで浮かんでいる。よし、時間があればあそこにも寄って行こう、久々の旅気分である。立派に整備された階段はさらに上へと登って行く。登山と言うには少々おこがましい感じは否めないが、山としては立派に岩崎元郎氏の新日本100名山の1山に選定されている。私の住む藻岩山も同様だが、中高年登山にふさわしいのみならず、地元からの愛され度も岩崎氏の選定の基準になっているのかもしれない。頂上まで100mの標識、見ればすぐ近くに頂上が見えている。地獄谷のような景観からは想像できない穏やかな頂上風景が広がっている。頂上と書かれた標識の横の突き出した岩にタッチ、登頂の証とする。遠い頂上ではあったが、山自体は意外なほどあっけなく、山行の核心部はやはり札幌からの長い運転と言えそうだ。噂通りの大パノラマだが、中でも気になったのが海向山の奥に聳える尖峰で、後でsakag氏のサイトを調べたところ古部丸山という藪山であった。次回の函館遠征は冬となるが、その時にはぜひこの山に登りたい。

 頂上を後に次は海向山である。下山途中、登山者が上がって来る。やはり、恵山は人気の山ということだ。短時間で登れることもあって、早い時間から登る登山者はあまりいなかったということかもしれない。登山道脇の小さな噴気口に手を入れてみるが熱い。当然と言えば当然だが、卵を持参しなかったことが悔やまれた。例の一列に並んだ地蔵尊を過ぎるとすぐに駐車場、車の時計だけ見て、すぐに海向山へと向う。ちなみに海向山の名は「海に向って開けた山」とのこと。この山への登山道は一転して豊かな木々の中の一本道となる。地形図を見ればこちらは距離があり、少々急ぎ足モードに切り替える。

頂上から南東方向を望む 恵山頂上から望む古部丸山、次はここだ
椴法華から望む海向山 海向山頂上にて
途中で見つけた鮮やかな紅葉
「ピカリン館」で見つけた高田屋嘉兵衛の情報

  海向山へは途中から2コースに分かれているようだが、そんなことを私は知らなかった。後で持参した地形図を見ればそれも載っていたのだが、この時は地形図も見ていない。時間が気になるため、短い方を選ぶことにする。落ち葉で登山道は隠れ、下草も枯れているために、簡単に登山道を外してしまう。この時期はどこでも歩けるのが良い。そのうちピンクテープが見えて登山道と合流する。先行する中高年グループの声が聞こえる。聞けば地元のグループとのこと。急ぐので、そのまま抜き去って急斜面へと入る。海向山の頂上部は広い台地状で、平らになってから少し歩くと頂上標識と三角点のある頂上となる。とりあえず、この日の目標を達成、雨は落ちてきたが気持的にはゆっくりモードに切り変る。下山途中で先ほどのグループと話しをしたところ、恵山は登山道との分岐を過ぎて10分も行かないところが紅葉の見所とのこと。ぜひ見に行くよう強く勧められる。下山後にその紅葉の見所へ行くことにしたが、登山道の分岐とはどこのことを言っているのかが判らなかった。分岐らしきところから進むと賽の河原の仏像のところへ出るだけで、見事な紅葉などどこにも見られない。

 高田屋嘉兵衛が恵山・賽の河原に建立したと言われる「海上安全祈願の碑」だが、そんな歴史の1コマを知ったのは恵山・海向山の下山後、函館灯台資料館「ピカリン館」を訪れてからだった。以前、えりも町の観音岳で見た「奥山半蔵坊」をすぐに思い出した。北の海の難所にまつわる話はここにもあったようだ。恵山沖は潮流が微妙に変化し、今も昔も危険との背中合せらしい。江戸期から近年に至るまで、この海域での海難事故は数えきれないほど発生している。その中の一つとして、文化六年(1809年)に起こったのが高田屋・貞宝丸の事故で、根室から函館に向かって鱈や鱈粕を積んで航行中おおしけに遭い、船は難破、九名の溺死者を出している。賽の河原の祈願碑はこの年に建てられており、おそらくこの事故がきっかけとなったのだろう。

 岬側から「十三曲がりコース」という登山道があることを知ったのもピカリン館に行ってからで海上安全祈願の碑」建立の際の賽の河原へのルートだったとのこと。彼らの言っていた紅葉が素晴らしい地点とはこのコースの上部のようで、権現堂登山口から少し下った地点らしい。知っていれば、当然こちらのコースを登っていただろうし、高田屋嘉兵衛の祈願の碑も探していた。情報がない方が山は面白いと決め込んでいたが、それは情報のない藪山登山での話、こんな有名どころはやはり情報をしっかり持って行った方が楽しかったようだ。(2012.11.3)

【参考コースタイム】 ■ 恵 山 賽の河原 P 8:40 恵山頂上 9:30、〃発 9:35 → 賽の河原 P 10:05  (登り50分、下り30分)    海向山  賽の河原 P 10:10海向山頂上 10:55、〃発 11:05 → 賽の河原 P 11:55  (登り45分、下り50分)

メンバーsaijyo

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