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   台場山(491m) ・・・土方歳三が砲台を築いた山

川汲峠を過ぎると目指す台場山が見える

 

1/25000地形図 「尾札部」

土方歳三

管理道・ゲート前に車を止める
川汲峠に到着、ここから林道へと入る

 台場山と言えばイメージとしてはもちろん「土方歳三」だ。言わずと知れた新撰組の副長で、戊辰戦争では榎本武陽率いる旧幕府軍に加わってこの北の大地までやって来た。箱館戦争では奮戦の末、壮絶な最後を遂げた機智勇略を備えた人物である。その人気は今現在も衰えることなく、戦死の地の碑の前には現在も花が絶えない。その土方が新政府軍を迎え撃つために砲台を築いたのがこの山で、以来この山名となった。この日に泊まった「ゲストハウス自遊旅」の管理人「も〜さん」こと毛利氏は、この山の歴史・古道についてかなり精通した方で、この山について詳しく説明してくれた。この山に登った以上、図書館にでも通って勉強しなければ山行記になどならないだろうと思っていたが、実際に現地を歩いて来た直後だっただけに、箱館戦争という時代への距離感はあまり感じなかった。

 古部丸山が意外に早く終わったため、途中のセーコーマートで温かいうどんを食べてこの山へと向かう。気分的には観光登山であった。もちろん、下調べなど全く無しだったのでカーナビの案内地を川汲峠とした。南茅部から函館へと向かう道道83号へ入ってしばらく、目的地点はどんどん近づいてくる。もう少しで到着かと思いきや、な、何と!?トンネルが現れた。カーナビの目的地がトンネルのど真ん中にあり、正直なところ運転しながらどうしようかと戸惑った。止まるわけにも行かず、そのまま通過するしかない。トンネルを出て、ナビはリルートを開始、路肩に車を止めてしばしそれを眺める。どちらに進んだら良いのかが判らず、一度頭の中の整理をする必要がある。要は頭の中が平面だったためで、3Dの思考が必要だったと悟った。カーナビはそのまま進んだ地点から回り込む道路を案内した。NTTの管理道で無線中継所へと続いているようだった。入口は施錠されており、ここから歩くより外にない。もちろん地形図など用意していなかったので、手許の地図入りGPSが全てである。どの位の距離かは判らないが、日帰り登山の山であり、さくさく登れば十分に登頂可能と判断、スタートとする。こんな歴史の山に、まるで下調べもなしに登っても良いのだろうかとは思ったが、そうそう訪れるチャンスなどあるものではない。

頂上からNTTの無線中継所(右)と古部丸山(左)
頂上からは函館山と市街地が見え、正に函館の山である

 上冷水川沿いに管理道は続き、大きく回り込んで標高を上げて行く。途中、道路崩壊のため通行できないとの表示を見るが、すでに復旧工事は完了済みで、立派なコンクリートの擁壁の上を道路が走っていた。見ると眼下には先ほど通過して来た道道83号が見える。何処といってルートさえ知らない登山、目指すは川汲峠で、そこまで登ってしまえば台場山は目と鼻の先である。人気の山と思っていたが、他には誰も登っていない。臆病者の私としてはゲート前にあった「此の付近の山に熊が出没しているので入林は御遠慮下さい」が気になるところ。一人であり距離感覚もつかめないとあっては、どうしても急ぎ足となる。そうこうしているうちにGPS上の川汲峠がかなり近づいていることに気付く。GPSの小さな地図は老眼の進んだ私には拡大しなければ見ることが出来ず、ましてや文字が判る程度まで拡大していたので、目的地が余計に遠く感じていたようだ。

 道路の分岐点となって川汲峠到着である。分岐から台場山への林道には簡易的なゲートが設けられていて、車は入れないようになっている。そもそもがスタートから入れないのだからこのゲートの意味が解からない。ゲートの向こうには「台場山砲台跡へ」の案内標識が立っており、歩行での立入りはOKのようだ。さて、いよいよ籔漕ぎかと思いつつカーブを曲がると、何と「台場山砲台跡登山口」と次の案内標識が現れた。そこからはしっかりとした歩道が作られており、難なく台場山頂上に到着となる。標識には「函館サンモリッツくらぶ」とあり、歩道の整備や案内標識の設置は彼らによるものだろう。後で知ったが、このクラブは営林署関係のものらしい。

台場山の頂上が見えてきた 台場山頂上標識と金麦

 丸山もそうであったが、この晴天とあっては眺望は素晴らしい。先ほど登ってきた古部・丸山も存在感ある姿で望め、三森山や泣面山、蝦夷松山もくっきりと見える。何より函館山と市街が見えて函館の山へやって来たことを感じさせるのが良い。いつもの頂上風景と違うところと言えばやはり砲台跡で、頂上のど真ん中が凹地となっている。こんな山の上、砲台を作っただけでも大変なのに、大砲をここまで人力で運び上げたのだから大変な話である。戦争とはとんでもないエネルギーを要するものと改めて感じさせられた。下りはストックを突きながら快調に下る。突いているストックのリズムを聞いているうちについ鼻歌も出て来る。もちろん、以前から登ろうと考えていた二山を登り終えた満足感からだ。黒田節を何十回歌っただろうか、管理道入口のゲート前に無事到着となる。

 台場山頂上には「この地は明治元年、鷲の木に上陸した幕府脱走軍のうち、新撰組・土方歳三率いる一隊が五稜郭へ向かう途中、初めに西軍と対戦し、勝利を持って箱館戦争の火蓋を切った地である」とある。実際に火蓋が切られたのは七飯町の峠下で、大鳥圭介が率いていた隊が五稜郭の箱館府軍の奇襲を受けたのが発端である。以後、台場山には土方によって砲台が設けられた。そもそも、ここでの戦闘は小競合い程度で、死者は出なかったとのこと。にも関わらず、戦死者の慰霊碑が建てられていると、も〜さんから聞いた。広義に解釈すれば同じ民族による戦闘であり、箱館戦争にて命を落とした兵全体への慰霊ということなのかもしれない。この日に訪れた台場山は「兵どもが夢のあと」、小春日和の静かな山であった。(2014.11.23)

参考コースタイム】  NTT管理道ゲート前 P 11:30  台場山頂上 12:50、〃 発 13:10 →  NTT管理道ゲート前 P 14:00 (登山時間 登り1時間20分、下り 50分)

メンバーsaijyo

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