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天城越えの向こう側
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天城山訪問記

石川さゆりの「天城越え」でよく耳にする“天城”。
その名を冠する天城山に、いつかは行ってみたいと思っていた。
伊豆半島の中央部に連なるこの山は、深田久弥の『日本百名山』にも名を連ねている。
それなりの風格と歴史を備えた山なのだろう――そんな期待を胸に、今回ようやく訪れることになった。
だが、実際に歩いてみた天城山は、私の想像とは少し違っていた。
豪快な岩峰や、遠くまで見渡せる大展望があるわけではない。
代わりにそこにあったのは、深いブナ林と、どこまでも続く静かな稜線だった。
天城といえば、川端康成の『伊豆の踊子』、旧天城トンネル、そして「天城越え」。
文学と歌に彩られた土地でもある。
その舞台となった山を、自分の足で辿ることに、密かな喜びを感じていた。
二万五千分の一地形図で見る限り、天城山は明確な主峰を持たない。
万三郎岳、万二郎岳を中心とした、なだらかな山塊である。
いかにも“歩いて味わう山”という印象だった。
静かな山歩きを思い描いていたが、さすがに本州の百名山である。
登山道には人の流れが途切れることなく続いていた。
今年はツキノワグマの大量出没が社会問題となり、都内での目撃情報まで報じられている。
北海道のヒグマより小柄とはいえ、人身事故の多さでは決して侮れない存在だ。
そうした事情もあって、なるべく熊の出没地帯を避けたつもりだった。
だが、同じ不安を抱え、同じ場所に集まってくるのが人間なのだろう。
登山道はよく整備され、地図は現在地確認のために開く程度で済んでしまう。
今回の最大の難所は、七十歳に手が届こうとしている自分の脚だった。
万二郎岳までは、軽いウォーキング程度の“アルバイト”。
だが、展望のない森の中を歩いていると、山の個性は薄れていく。
結局、最後に向き合わされるのは、山ではなく、自分自身だった。
万二郎岳頂上からの展望は、何もない。
三角点は見当たらず、林班界の標石と思われる、対角線状の十字を刻んだ石が無造作に置かれていた。
もう、役目を終えたのだろう。
万二郎岳から先も、しっかりとした登山道が続き、一旦下っていく。
急斜面ではあるが、手を使わず二本足で下れるのだから、特に問題はない。
この山の見せ場は、アセビやシャクナゲに彩られる初夏だと言われている。
だが、十一月の末ではどうにもならない。
途中、アセビの群生地を通過するものの、緑一色の景色では、どこが特徴なのか分からなかった。
万三郎岳頂上は、多くの登山者で賑わっていた。
頂上標識や案内板、一等三角点まで、まさに“何でもそろった”オンパレードである。
他の登山者に、札幌からこの山に登りに来たと話すと、一様に歓迎されるのが面白い。
話を聞くと、羊蹄山、幌尻岳、大雪山、十勝岳……。
やはり話題は百名山に集約されていく。
北海道以外の百名山は四座目だと話すと、「自分は全部登ったよ」と、誇らしげに語る人もいた。
万三郎岳下の分岐点から涸沢分岐までは、一気に下った。
歳は取っても、何十年も山をやっていると、下りだけは圧倒的に速い。
邪魔にならないよう距離を取りながら、十人以上の登山者を追い越していった。
なぜか、皆が止まっているように見えたほどである。
ところが、涸沢分岐から四辻までは様子が一変する。
アップダウンの少ない、岩がごろごろした長いトラバース道だ。
今度は一人抜かれ、二人抜かれ、気がつけば、頂上にはいなかった後続の登山者にも追い越されていた。
後から後から人が近づいてくるたびに道を譲り、立ち止まって待つ時間ばかりが増えていった。
四辻に戻ってきたのは、標準タイムより一時間半遅れの午後だった。
そこからは、痛む腰を伸ばしながら、ゆっくりと登山口へ戻った。
本来なら、昼前には下山し、浄蓮の滝や寒天橋まで車を走らせるつもりだった。
だが、そんな元気は、すでにどこへ行ったのか分からない。
ただ、ただ、平塚に取ったホテルへ戻り、冷たいビールを飲みたかった。
天城山は、歌のように燃える山ではなかった。
強いて評価するなら、平凡な遊歩道の連続であり、登頂間際の迫力や、山の持つ冒険性には、やや物足りなさを感じた。 (2025.11.29)
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