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      八百五十(849.6m)

 

 

旧鹿島・千年町から望む八百五十

    1/25000地形図「栄 町」「シューパロ湖」 

二段目からはかなり立体的な光景に
770mポコを過ぎた地点から見た本峰(右)
パーキングエリアに車を停める
登りの途中、左から滝ノ沢岳、前岳、薄っすらと夕張岳
突然、作業道が現れる

道内には、産業の衰退と共に過疎地となり、人々が去ってしまった地域は数多くあるが、ここ夕張・鹿島はスケールが違う。鹿島というよりは「大夕張」と言った方が判りやすいが、以前にNHKの「地図から消える故郷」でその様が放映され、私も消え行く街をひと目見ようと車を走らせた記憶がある。最盛期には2万人以上の人々が炭鉱と共に明け暮れしていた街も、三菱大夕張炭鉱の閉山と共に人々が離れて消滅、さらには夕張シューパロダムの建設工事で、完成時にはその土地さえも水没するといった運命にある。ここには鉄道が走り、学校、病院、郵便局なども存在し、ある程度の都市機能が備わった町だったようである。この様子はWeb上、「ふるさと大夕張」に詳しく載っている。このサイトで目に止まったのは、私としてはやはり大夕張の山として親しまれた「八百五十」であった。頂上には三等三角点「主夕張」(849.6m)が埋まっていて、夕張の“ぬし”だと言わんばかりだが、「主」はシューパロの“シュ”の当て字である。単に標高が850mであるために、この名が愛称として定着したようである。町の最盛期である昭和20〜30年代には学校のスキー登山にも利用され、小中学生も登っていたそうだ。中腹には炭鉱の福利厚生の一環として、山小屋まで建てられていたとのこと。

 現在、水没に備え国道の付け替え工事が行われているが、工事中のゲートを入り現場の人に車を停める場所を尋ねてみたところ、「何処に停めてもいいよ」との返事。「山に登って帰ってくるだけかい?」と怪訝そうな顔。この日は天気こそ良いが北風がめっぽう強く、車から出ることすら憚られる寒さである。一般的に考えて、こんな寒い日に、登って降りるだけの登山という行為そのものが不可解な行動と映ったのであろう。駐車場所に躊躇していると、工事請負の建設会社の社員と思われる人が来て、300mほど先にパーキングがあると教えてくれた。

 パーキングからは工事中の新国道の現場を通過、尾根末端へと向うが、この辺りにはかつて学校のグラウンドやスキー場があったようである。現在では我々がいつも登る、薮山の取り付きと何ら変わるところがないくらいに自然回帰してしまった感じである。尾根は急斜面で、左にトドマツの植林を見ながらぐんぐん標高を上げる。北風を避けながらさらに標高を上げて行くと、いきなり作業道跡へと飛び出した。帰路、この作業道を下ろうと試みるが、直ぐに消えてしまった。おそらく自然に崩壊し、上部のみが残ったのだろう。

作業道は尾根の頭を回り込み、吊り尾根の上を通って次の尾根へと向って行く。風の通り道では地吹雪状態であるが、少し位置をずらすだけで無風となり、日差しのためか小春日和のように暖かくさえ感じられる。雪面も場所によってはカリカリであるが、おおむね新雪が覆っている。二段目の尾根は風下側に作業道跡が併走しており、これを利用することによって風も避けられ快適である。出発時に顔を見せていた夕張岳は地吹雪のためか姿を隠し、前岳も地吹雪が舞っている感じで見え隠れしている。さらに進むと、植林地となっている小さな沢地形となり、全くの無風状態となる。小屋が建っていたとすれば、この付近かもしれない。

 尾根上へ登って行くと再び地吹雪状態となり、雪面もカリカリである。尾根を左から回り込み、広い斜面の新雪が付いた面を選んで登って行くと、コンタ770mの最後のポコへ飛び出す。ここからは頂上南側のピークへは一直線の登りとなる。けっこう傾斜があり、学校のスキー登山に使った山としては少々厳しい感じである。降雪時には雪崩れる可能性も十分に考えられる。左手の斜面には雪面に亀裂も入っていて、雪面全体が少しずり落ちている。稜線直下の急斜面は潅木をかわすように細かなキックターンで登りきる。往時、地元の小中学生は、現在の都会の子供達とは違い、こういった自然環境の中での多くのサバイバルな体験を通し、自然の力とその危険を回避する能力を身に付けていったのだろう。

最後の登りは痩せ尾根の急斜面 頂上に到着

  稜線上は意外に痩せた感じである。八百五十の頂上は一度下った向こうに、一段小高くなった形で姿を現す。雪庇も付いていて、ここから先は少々時間がかかってもツボの方が効率は良さそうだ。地形図で見て知っていたが、ここより高い西側の874m峰は長い稜線が特徴的で、その向こうには石狩平野の一部も望まれる。また、風致公園のある710mや三角山、雨霧山も見える。まるで夕張市全体の展望台に立っているかのようである。痩せた稜線を下ると全く無風のコルとなる。いよいよ最後のひと登りを残すのみである。雪庇はあるが、踏み抜くほどのものではない。一歩一歩登り詰め、最後はここぞ頂上といった感じの、全く疑う余地のない狭い頂上に飛び出す。稜線上の一突起といってもおかしくはないが、ここより先は下降するのみである。

 展望は想像以上だった。夕張山地の主だった山々が山脈のように連なっており、主峰・夕張岳こそ霞んで見えないが、芦別周辺の山々から夕張マッターホルンや鉢盛山、そして滝ノ沢岳に前岳、屏風山など、大パノラマが広がっている。晴れていれば日高の山々も見渡せるとのこと。そして、やはり一番気になるのが消えてしまった街「大夕張」である。Web上にて街が存在していた頃の頂上展望を見たが、それは白黒写真であっても建物が軒を連ね、活気みなぎる光景であった。現在は白い雪面が広がるのみで正に夢の跡である。この山はこの地区の栄枯盛衰を静かに見守ってきた。せめて山名が地形図上にでもあれば、きっとこの素晴らしい展望をひと目見ようと登山者が訪れることもあろうが、大夕張をも忘れ去られようとしている現在、この山も見捨てられる運命にある。(2009.02.01)

【参考コースタイム】除雪されたパーキング 8:55 作業道跡 9:55 770mポコ 10:55 八百五十頂上 11:40、〃発 12:05 除雪されたパーキング 13:25 (登り 2時間45分、下り 1時間20分)

メンバーsaijyo、チロロ2

頂上からの眺望、夕張山地の峰々と大夕張の街が存在していた雪原(手前)

 

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